千葉真一さん(享年82)を「親父」と慕う俳優が、若山騎一郎だ。父・若山富三郎と千葉は親交が深く、映画『魔界転生』(1981年)では宿敵役として共演。千葉は常々、「若山先生は僕の師匠」と公言してきた。千葉には新田真剣佑、眞栄田郷敦という2人の息子がいるが、富三郎の逝去後は騎一郎を“もう一人の息子”として可愛がった。若山が明かす。
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中学、高校時代は喧嘩に明け暮れる不良でした。こいつをどうしようかと父親が悩んで、「芸能界に入れるか」という話になった。それで父親からの口添えもあって、高校中退後にJACの13期生として入りました。
当時、千葉真一といえば大スター。真田広之さんや志穂美悦子さんを育て、世間にもJACの名は浸透していた。俺は喧嘩が強かったし、バック転くらいはできたから、「JACでやっていることくらい簡単だろう」と考えていた。でも甘かった。周りは元自衛隊員、体操選手とか凄いのがたくさんいて、彼らが音を上げるほどトレーニングがきつい。当然、俺は落ちこぼれていきました。
結局、椎間板ヘルニアになってJACを辞めることになるんだけど、千葉さんから電話がかかってきて「ウチを辞めてもいいから、芸能界にはいろよ」と言ってくれた。そんなふうに優しく言ってくれた人は人生で一人もいなかった。それで劇団昴に入って芝居を勉強したんです。
父親が亡くなって三回忌だったかな。千葉さんが来て、「今日から俺のこと“親父”って呼んでいいぞ。若山先生がいないんだから、お前は俺にとって息子みたいなもんだろ」と言ってくれてね。俺が30歳になった頃で、そこから親父って呼ぶようになった。実の父親は“お父さん”か“先生”としか呼んだことがない。「親父」って呼べるのは千葉さんだけでした。
どんな時でも温かく見守ってくれました。俺が事件を起こした時、怒鳴り飛ばされて、物凄い剣幕で怒られました。でも以降はその話題に触れることはなかった。
仕事面でも、いまだに勉強させてもらっています。『魔界転生』のラスト、柳生十兵衛(千葉)と柳生宗矩(富三郎)の対決シーンなんて、何度見たか分からない。あの立ち回りはリハーサル1回しかやっていないからね。普通あれだけのシーンは最低でも2~3回はリハをやるけど、「真一、これ一発でいくぞ」と父親(富三郎)が言ってね。二人とも意地でもNGは出さない。半端じゃないプレッシャーがあった。そんな中で命を削るような名シーンが生まれた。
ああいう語り継がれる名作を俺もいつか作りたいと願っていたし、それを“二人の父”に見せたかった。
※週刊ポスト2021年9月10日号