志村けんが新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎で亡くなってから、はや1年半。1994年から7年間にわたって、志村の運転手兼付き人を務めた乾き亭げそ太郎が、海外ロケに同行した時の苦い思い出を振り返る。
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1998年に、ある番組のロケでスウェーデンに行ったときのこと。飲めないお酒を飲んだ翌朝、目が覚めると志村さんから預かっていた、パスポートやカード類、現金の入ったカバンがないんです。
部屋中どこを探し回っても見つからない。記憶をたどると、どうやら前夜乗ったタクシーに置き忘れてしまったようでした。
志村さんは帰国後すぐにCM撮影の予定が入っていたので、帰国が遅れたら億の損害になるかもしれない……。だけど黙っているわけにもいかないので、意を決して志村さんに頭を下げ、カバンを置き忘れたことを伝えました。海外でモノをなくしたのですから、出てくるはずもありません。
“殴られるかな”と思いましたが、志村さんはひと言「あっそう。しょうがねえなあ」とだけ。
一緒にロケに来ていたスウェーデン育ちの川上麻衣子さんがタクシー会社に電話をかけ、「カバン、ありました! しんちゃん(本名・信一)、よかったね」と言ってくれたときは、膝から崩れ落ちましたよ。
帰国後しばらくして、なぜ怒らなかったのかを聞くと、志村さんはこう答えました。
「怒ってもお前が困るだけで、何も解決しないだろ」
タバコやお酒が欲しいときに気づかないと怒るのは、言えば直せることだから。でもカバンの置き忘れを怒っても、カバンが出てくるわけではない、と。
結局、付き人時代の7年間で怒鳴られるほど怒られたのは、遅刻したときと髪を緑に染めたときの2回だけでした。
※週刊ポスト2021年9月10日号