【書評】『ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略』/廣瀬陽子・著/講談社現代新書/1320円
【評者】山内昌之(神田外語大学客員教授)
東京五輪パラリンピックがコロナ問題で延期された時、関係各所にサイバー攻撃が仕掛けられたこの事件はあまり注目されなかった。英国外務省によれば、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の仕業とされる。ドーピング問題でロシアの参加が拒否されたことへの報復だったようだ。
日本はそれに気づかず、日本人は何も知らなかった。衝撃を受けたのは、一部の政治通だけであった。これはハイブリッド戦争の脅威を予知させる事件にほかならない。日本人は軍事という観念をあまりにも狭くとらえがちな国民である。古典的な陸海空の戦争空間でなく、宇宙・サイバーを通した挑発や衝突は稀な現象ではない。こうした日常性と非日常性の交叉について、専門家の立場から警告を発しているのが本書なのである。
目まぐるしく変わる軍事衝突の様式と安全保障の新たなリスクを象徴するのは、まさにハイブリッド戦争である。かつて自領やナゴルノ・カラバフ自治州をアルメニアに占領され、回復できなかったアゼルバイジャンは、兄弟国トルコのドローン兵器を導入してアルメニア軍の戦車をたやすく撃破し、占領地の多くを奪還した。
これに付随して情報戦やサイバー攻撃も同時並行的に進んだ。他方、ロシアはアゼルバイジャンに「停戦監視団」の名目で兵員を五年間駐屯させることに成功した。両国は、ハイブリッド戦争の意味を理解して軍事と政治の領域でそれぞれ勝利を収め、アルメニアは新たな状況に対応できずに敗北を喫した。
こうして戦い方が変わったことを廣瀬氏は強調する。ロシアにしても何も火種がない所に戦争を起こせるわけではない。国内外に何か火種がある時に、それを口実に力を発揮するのがロシアなのだ。
効果的方法こそハイブリッド戦争である。本書は、それにロシア外交の巧妙な技や罠が地政学的にからむことを理論と実証の両面から描いている。モスクワ・テヘラン枢軸、モスクワ・東京枢軸という言葉を見るだけでも、本書のスケール感が想像できるというものだ。
※週刊ポスト2021年9月10日号