【著者インタビュー】本橋信宏氏/『出禁の男 テリー伊藤伝』/イースト・プレス/2750円
何かはわからない。が、何かとんでもなくギラギラしたものがそこには横溢し、映像化されるや世界的な大ヒットとなった、『全裸監督 村西とおる伝』。その著者、本橋信宏氏(65)には、村西と出会う前、IVSテレビ制作(当時)の若手社員だった伊藤輝夫、後のテリー伊藤と知り合い、一緒に働いていた時期がある。
本人及び周辺人物の証言を改めてかき集め、テレビが元気だったあの時代を再現してみせたのが本書、『出禁の男 テリー伊藤伝』。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『ねるとん紅鯨団』『浅草橋ヤング洋品店』等、今のバラエティ番組の原型を全て作ったとも言われる鬼才は、意外にも夢も仕事もない〈負け犬〉から、そのキャリアを始めていた。
例えばかつて伊藤の薫陶を受けた元『電波少年』の土屋Pこと、土屋敏男氏が言う。〈伊藤さんが教えてくれたのは、要するに人間にとって大切なのは才能なんかじゃないと。ひとつのことを考える時間なんだと〉そう。天才とは何か一つのことを愚直に考えられる、生真面目さのことだった。
「村西監督の次は伊藤さんか、うまくやったなあって言う人がいますけど、出会った時、村西とおるはただのビニ本屋ですから。伊藤さんだって私が20歳の頃、東早慶の芸能合戦みたいな番組に出て以来のお付き合いで、そのときは製作会社の無名のディレクターでしたから。
若い頃、私は人見知りが酷く、こんなに長く関係が続いたのは彼らくらいかもしれない。例えていえば、大昔に何気なく買った株がアマゾンだったみたいな(笑い)。それくらい裏も欲もないニュートラルな関係だから、向こうも脇の甘いところを見せてくれるんだと思います」
そんな近しい人の評伝を著者は「第1章 斜視」から始める。1968年の日大闘争で味方の投石が左目を直撃、特に手術もされぬまま眼球が55度外を向く外斜視に。視力を失っても、〈ボールを壁にぶつけて捕る〉我流のリハビリで平衡感覚を鍛え、看護師をデートに誘うなど、めげない姿を本書に綴る。
「なぜ医者はちゃんと説明してくれなかったのかとか、八つ当たりしないんです。身体的なダメージって心に影を落とすし、伊藤さんはオシャレだから毎日鏡を見るじゃないですか? それでも誰も恨まないのは本当に凄いと思う。
あれは最初の取材の時かな、壁にボールをぶつけて捕るリハビリというのを、実演してくれたんです。その時、『あ、この本は成功するな』って確信したし、本来ノンポリな彼がデモに参加したのも、地方出身の友達の親御さんが苦労して工面した学費を不正流用した大学は許せないっていう、身近な怒りからなんですね。そこは東大闘争と日大闘争の違いであり、江戸っ子らしい義侠心でもあろうと」
そして大学卒業後、アパレル関係の就職に失敗した築地丸武の四男坊は、両親の勧めで寿司職人の道へ。だがこれも不器用で続かず、紹介に次ぐ紹介でIVSの創業社長と会う機会を得る。