樹木希林さん(享年75)が亡くなって以降、彼女に関する書籍が各社から刊行され、大きな話題を呼んできた。しかし編集者からの執筆オファーを断わり続けてきた人物がいる。誰よりも多く樹木さんとの時間を過ごしてきた浅田美代子(65才)だ。あれから3年、「まだ完全に受け止めることはできない」としつつも、樹木さんとの時を振り返ると決めた浅田がついに筆をとった──。
9月15日、樹木さんが亡くなって3年目の命日に、浅田が書籍『ひとりじめ』(文藝春秋刊)を上梓する。綴られているのはこれまでの浅田の半生と、樹木さんとの思い出の日々だ。
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世代を超えて関係を紡いでいた2人だが、7年間という疎遠になっていた時期がある。それは浅田が結婚していた期間だった。
《たぶん、芸能界の風のようなものを私に匂わせたくなかったのだろう。結婚するときも私の背中を押して、たくさんの力をくれたけれど、希林さんは直感がずば抜けて鋭いところがあるから、いつか私の結婚が綻んでしまう可能性があることも、当時から予感していたのかもしれない。それでも、私が選んだ道を応援してくれる人なのだ》(『ひとりじめ』より。以下同)
浅田が選んだ道とは、21才での吉田拓郎(75才)との結婚だった。ラジオでの共演がきっかけで、19才の誕生日から交際が始まり、それが報道されるとすぐに樹木さんと内田裕也さん(享年79)から、吉田に会いたいという電話があった。そして実際に、夫婦で吉田が通っていたバーに乗り込んで、真剣に交際しているのかと直接切り込んだ。結果、吉田から真摯な答えを得た樹木さん夫婦は浅田の恋を応援するに至ったというわけだ。
当時、プロポーズを受けるか浅田は悩んでいた。吉田が芸能界からの引退を条件にしていたことに加え、浅田の両親が、箱入り娘が若くしてミュージシャンに嫁ぐことを猛反対していたからだ。
救いの手を差し伸べたのは樹木さんだった。浅田の実家を訪れると、彼女の母親をこう説得したのだ。
《「お母さん、心配なのはわかります。でも、結婚は本人の自由ですよね」》
あまりにストレートな物言いが功を奏したのか結婚は許された。
だが、浅田は7年後に離婚する。
《結婚してみてよかったとも思う。希林さんが結婚前から諭してくれたように、結婚して普通の主婦をしていた経験は、役者としてはもちろん、人間としての私を豊かにしてくれた》
疎遠になっていた間も樹木さんは、浅田のことを気にかけていた。
離婚後も浅田はしばらく吉田姓を名乗っていたのだが、樹木さんに反対された思い出をこう述べている。
《浅田美代子よりも吉田美代子の方が、銀行や病院で呼ばれても気づかれないというメリットも感じられた。それから、吉田さんのお母さんには結婚している間、本当に可愛がっていただいて、離婚後も「これからも娘でいてね。吉田の姓でいてね」と言っていただいた》
しかし、離婚から数年が過ぎると、樹木さんは浅田姓に戻すようにと、強く迫った。
《「吉田の姓を名乗るのはおかしいよ。あちらは再婚したんだしさ(中略)美代ちゃんは、吉田美代子で死ぬの?」》
この言葉がきっかけとなり、公私ともに浅田美代子を名乗るようになった。