音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、林家つる子の独演会についてお届けする。
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愛嬌満点の高座で人気の女性二ツ目、林家つる子。古典の持ちネタは数多く、新作にも取り組んでいる。8月10日、日本橋社会教育会館で開かれた彼女の独演会を観た。
1席目は、野球をまったく知らないエリート課長が、少年野球で投手になった息子に「変化球を教えて」と言われ、経験者の部下に初歩から教わって2週間でスライダーをマスターする『スライダー課長』。会話の面白さもさることながら、「左手で捕球する際、後ろに廻した右手で身体を叩いて“バシッ!”という捕球音を出す」のがあまりに印象的で、僕がつる子に注目するきっかけになった噺だ。作者は社会人落語日本一決定戦で優勝経験もある青山知弘氏。
2席目は『たがや』。野次馬をコミカルに描く一方で、たがやが侍に啖呵を切る威勢の良さはまさに本寸法。たがやが殿様一行に立ち向かうクライマックスでは型に嵌まらない地の語りの巧みさが際立つ。
3席目は左甚五郎の逸話『ねずみ』で、子供の客引き(卯之吉)に案内された甚五郎が腰の抜けた主人(卯兵衛)の営む“ねずみ屋”という粗末な宿に泊まるところから始まるのが普通だが、つる子は冒頭に独自の演出を盛り込んだ。
病床にある母が「七夕でお客さんが大勢なのにすまないね」と言うと、幼い息子が「あたいが手伝ってるから大丈夫だよ!」と健気に応える。卯兵衛がまだ仙台一大きな虎屋の主人だった頃の、卯之吉と実母との会話だ。短冊に書いた願いごとを尋ねる母に、卯之吉は「早くおっかさんが良くなって、またみんなでお寿司を食べたい」と書いたのだと言う。この回想シーンから、客引きをする“現在の卯之吉”の場面へと転じ、甚五郎と出会うことになる。
この演出は素晴らしい。生前の実母と卯之吉の仲睦まじい様子をリアルに描くことで、後に卯兵衛が甚五郎に語る「後妻に虐められた卯之吉が『なんでおっかさんは死んじまったんだ』と泣いた」という身の上話が、何倍にも切なく感じられる。甚五郎に卯之吉が“お寿司”をねだる伏線になっているのも見事だ。
つる子は『子別れ(下)』でも、冒頭で熊五郎に追い出された母子の日常生活を描いてから、亀吉が父と再会する場面へと移行するという独自の演出を加え、物語に膨らみを持たせた。こうした工夫は“女性演者であること”を武器にする。つる子の演じる母は真に迫り、子供の健気さ、可愛さも格別だ。
つる子の“女性目線の一幕を加える”手法は、とりわけ人情噺において大きな効果を生む秀逸なアイディアだ。積極的に推し進めてほしい。
【プロフィール】
広瀬和生(ひろせ・かずお)/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接してきた。『21世紀落語史』(光文社新書)『落語は生きている』(ちくま文庫)など著書多数。
※週刊ポスト2021年10月1日号