日本では古くから捕鯨の伝統が見られ、食文化として鯨肉も親しまれてきた。1980年代後半から「調査捕鯨」が続けられたが、2019年から「商業捕鯨」が再開され、今年も漁師たちが大海原に乗り出した。商業捕鯨船「第三勇新丸」が持ち帰った鯨肉が豊洲市場で初出荷されるまでを追った──。
大漁旗を掲げた船が、近づいてくる。シャープな船体、高いマスト、船首に鎮座する大砲。クジラを探し、追い、仕留める捕鯨船「第三勇新丸」が、東京・お台場の埠頭に着岸したのは、9月1日の早朝だった。
大漁旗は、新たな時代の捕鯨のシンボルでもある。調査捕鯨時代は、豊漁を祝う大漁旗の掲揚すら許されなかったからだ。
世界各国がクジラを捕りすぎた影響で、捕鯨に対して批判が集まった時代があった。そんななか、日本は1987年から調査捕鯨をスタートさせる。生息数や生態、食性……。クジラの謎を解明しなければ、商業捕鯨が再開できないと考えたからだ。南極海や北西太平洋沖合で、年間数百から千頭ほど(2018年度は510頭)のクジラを捕獲し、科学的なデータを積み重ねた。護りながら捕る。持続可能な商業捕鯨の道筋を模索してきたのである。
しかし国際的な理解は得られなかった。調査船団に対し、環境保護団体は激しい抗議活動を繰り返した。
そんな状況が一変したのは2年前。日本は、調査結果を一顧だにしないIWC(国際捕鯨委員会)を脱退。32年ぶりに日本の沖合で、商業捕鯨を再開したのだ。
「我々には、長年の調査で、生息数の回復を証明してきた自負があります」
第三勇新丸の船長、阿部敦男は胸を張る。かつて捕鯨基地として栄えた宮城県女川町の出身。高校を卒業してから40年、捕鯨一筋に生きてきた。彼は笑う。
「人生と捕鯨が、一体になってしまいました」
調査時代、クジラの肉はあくまでもデータ採取後の“副産物”だった。一方、商業捕鯨の目的は、脂がのったクジラから上質でおいしい肉を生産すること。阿部は続ける。
「調査でも商業でも、我々は必死にやるだけです。乗組員全員でクジラを懸命に探し、クジラの性格やクセから動きを読んで“てっぽうさん”が撃つ。みんなの力を合わせないとクジラを捕ることはできません」