【書評】『時代劇聖地巡礼』/春日太一・著/ミシマ社/1980円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
私は京都の西郊で生まれた。そだったのは、嵯峨である。清涼寺釈迦堂と二尊院のなかほどに、実家はある。五歳から二十歳すぎまでの時期を、あのあたりですごしてきた。観光地のただなかで。
おかげで、テレビの時代劇には、妙な知恵がついている。たとえば、『水戸黄門』。水戸の御老公が全国を行脚して、各地の悪者をやっつける。そんな筋立てのドラマになっていた。だが、私は若いころから撮影の裏事情に、気づいている。ほとんどの場面は、ウチの近所でとられているということに。
『遠山の金さん』は、江戸北町奉行所で事件をさばいていた。だが、画面を見た私は、すぐ見ぬく。あの御白洲は、江戸じゃあない。ウチの近くにある大覚寺だ、と。
こういう発見は、おのずと私の鼻を高くした。テレビの江戸は嵯峨なのだという郷土自慢も、いだくようになる。しかし、長じるにおよび、市中の京都人から言いかえされた。嵯峨だけじゃあない。下鴨神社や金戒光明寺も、よくそういう舞台になっている、と。私には、彼らから高くなった鼻を、へしおられた記憶がある。
テレビの時代劇は、かつての映画も、たいてい京都で制作された。ロケも、大半は京都の近郊ですまされている。この本は、そんなロケ地をめぐる、ちょっとしたガイドブックになっている。
密談の場面には、どこそこがよくつかわれる。あの寺は、いろいろな番組で大名の江戸藩邸にばけていた。殺陣の場面なら、やはり某寺の石段がうってつけ……。そんな知見が、随所でしめされる。私は比較的こういうことをよく知っているほうだと、これまで思ってきた。しかし、上には上がいるものだと、かみしめる。
また、あらためて考えさせられた。かつての京都には、時代劇を制作した映画人が、おおぜいいたはずである。彼らの、とりわけロケハン担当者の脳裏にうかぶ京都像は、どうなっていたのだろう、と。紋切型の京都観とはかさならない彼らの想念へ、この本で近づけたことが、うれしい。
※週刊ポスト2021年10月1日号