ワクチンを打っても、感染者数が減っても、緊急事態が解除されたとしても、一向に元の世界に戻る様子はない。私たちはいつまでコロナに怯えて閉じこもるだけの日々を送るのだろうか。この状況を打破すべく、東浩紀氏(批評家・作家)、小林よしのり氏(漫画家)、三浦瑠麗氏(国際政治学者)が討論した。(全3回の第1回)
東:8月末に苗場でフジロックが開催されたときに、参加したアーティストがいろいろ言い訳しているのを聞いて、私は「一時のノリで五輪反対とかいうべきじゃなかった」とツイートしました。何が言いたかったかというと、「フジロックをやってもいいけど、それなら他の人の行動にも寛容になろうよ」ということ。みんなそれぞれ我慢できないものがある。それをお互いに認め合うのがリベラリズムで、個人の自由を尊重する社会の基本だと思うんです。
もともと日本は、「自分が我慢しているんだから他の人も我慢すべき」という自粛社会、村社会だったところへ、コロナ対策というお墨付きが出たために、暴走してしまった感がある。
小林:わしはもう、最初からコロナ騒動はくだらない馬鹿騒ぎだと思っていたけどね。ただ、その中でも日本人の特性について発見があった。
一つは、お上の言うことにまったく従順に従う権威主義。もう一つは、東さんが指摘したのと同じで、同調圧力で徹底的に縛りつけてくる集団主義。みんなそんなに自由が嫌いなの? って呆れたよ。リベラルを標榜する者ほど、検査して全員隔離しろとか言うわけじゃない。
東:立憲民主なんて、感染者数がどんどん下がっているこの時期に、3週間くらい休業要請を拡大して封じ込めろって言い出したので驚きました。
小林:“ゼロコロナ”ね。まだ完全に封じ込められると思っている。
三浦:9.11同時多発テロのときの米国を思い出しますね。人々が恐怖でパニックを起こし、“魔法の杖”の一振りですべてを解決できると思って、対テロ戦争の泥沼にはまっていった。現実には、テロ対策はできてもテロを撲滅することはできないのに。国民が自由を放棄し、差別や監視に走った構図も似ている。
コロナ対策でも、ロックダウン法制とか、検査拡大とか、魔法の杖のように振れば解決できるという人がいますが、そんなのは幻想なんですよ。
東:人流抑制が本当に感染拡大防止に結びついているのかもわからなくなっていますよね。今、急激に減っているのだって、専門家は理由がわからないと首を傾げている。仮に人流抑制に効果があったとしても、もう我慢の限度を超えてしまったので、みんな言うことを聞かなくなっている。
それならば、感染拡大を一定程度、許容して、それでも社会が回るように、病床の拡大やワクチン接種などを進めていくしかないと思うんです。