10月3日、今季限りでの引退を表明している日本ハム・斎藤佑樹(33)がイースタン最終戦に登板した。相次ぐケガに苦しめられた男はマウンド上で涙を流しながらも懸命に右腕を振り、打者一人を三振に抑えた。登板後、内野手がマウンドに集まり、涙の清宮幸太郎とハグを交わすと球場には観客の歓声が飛び交った。
この引退登板には、プロ11年間で斎藤を取材してきたメディア関係者もプライベートで駆け付けていた。元番記者の1人が語る。
「斎藤は記者から好かれていた選手でした。記者にフランクに“今夜ご飯行きましょうよ”と気軽に誘ってくる。ここ数年、ケガで苦しい状況が続いていましたが、コメントを求めると“仕事だから仕方ないですよね”と、嫌な顔せずに取材対応してくれた。週刊誌の直撃取材にすら対応するんですから(笑)。身体の状況なども、親しい記者には隠さず話していたと聞いています」
斎藤は2日前の10月1日、鎌ケ谷の二軍施設で引退会見を開いている。だが、甲子園を“ハンカチフィーバー”で沸かした頃や入団当時のメディアスクラムは見る影もなく、こぢんまりした会見だった。会見に参加したメディア関係者が語る。
「この日は眞子さまの結婚発表や、横綱・白鵬の引退会見と重なっていて、メディアの注目度は高くなかった。一軍は北海道で試合でしたし、取材に参加したのは一部の番記者と遊軍記者ばかり。番記者も斎藤の入団当初や、大谷翔平がいたころは各社複数人配置していましたが、チームの低迷もあっていまは各社ほぼ1人。取材陣10数名の寂しい会見でした」(同前)
それでも現場は斎藤の“粋な計らい”でアットホームな雰囲気に包まれていた。
「斎藤の登場前から、記者たちの間で『よく頑張った』と労いの言葉が飛び交っていました。なかには、『取材をもっとしておけばよかった』と、この2年間コロナ禍で思うように取材できなかったことを残念がる記者もいました。
実は会見前後に、斎藤は連絡先を交換していた記者に連絡を入れている。恩師やOBに連絡する選手は多いですが、記者に連絡する選手は稀です。プロではお世辞にも活躍したとは言えませんが、こういう姿勢があったからこそ、記者から愛されてきたのでしょう。これからの身の振り方については、はぐらしているようですが(笑)」(同前)
惜しまれながらユニフォームを脱いだ甲子園のスター。新天地での活躍に期待したい。