1989年の天安門事件で、学生らの民主化運動を支持したことで失脚した故・趙紫陽元中国共産党総書記の旧居が近く取り壊され、党関係のビルが建設される計画が浮上していることが明らかになった。
これまで趙氏の命日や清明節(日本のお彼岸に相当)には、趙氏を偲ぶ民主化活動家らが北京市内の旧居を訪れ、趙氏の冥福を祈るなど、この旧居が暗に現体制批判の場となっており、私服警官らが目を光らせていた。中国当局はこの機に、追悼拠点ともなっていた旧居そのものを取り壊すことで、民主派人士の動きを封じ込めようとしているものとみられる。
香港の公共放送局「香港ラジオ局(RTHK)」によると、趙氏の旧居からは、これまで住んでいた趙氏の娘夫婦など遺族らが9月末に立ち退き、習近平国家主席の側近がトップを務める党中央弁公庁の担当者らが様々な手続きを完了していた。
趙氏の遺族らは立ち退きの日に、北京市東城区の福強胡同(フートン=四合院)6号の中庭にあるいくつかの老木に幸運のシンボルとして知られる薄絹の「哈達(ハダ)」を結び付けるなど、引っ越し作業を終えていた。
一家は今年6月から引っ越しの準備を始め、まず趙氏の書斎と寝室にあった遺品を北京市郊外の倉庫に収めた。このほか、趙氏が外遊した際、海外諸国の政府や首脳らから贈られた書籍や絵画などは趙氏の故郷である河南省を中心に、中国各地の学校や博物館などに寄贈される予定だという。
この旧居は天安門事件のきっかけとなった趙氏の盟友ともいえる故・胡耀邦元総書記も1955年から1984年までの29年間過ごしており、胡氏の移転後、趙氏も2005年に亡くなるまで20年以上住んでいた。
趙氏の遺骨は党指導者らが埋葬される国立墓地である八宝墓地への埋葬は許可されなかったため、15年間も旧居に保存されていたが、2019年にようやく民間墓地に埋葬された。この間、趙氏の追悼のため、趙氏を慕う人々が訪れるなど、民主派人士の追悼拠点となり、当局は警戒を強めていた。
遺族が移転後の旧居の跡地にビルを建設することは1989年の民主化運動を支持した趙氏や趙氏の活動の痕跡を消し去ろうとする習近平指導部の思惑が働いているものとみられる。