伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系、1971~1983年)は、この10月で放送開始から50周年を迎えた。同番組は決勝大会で勝ち抜きデビューした数多くのスターを輩出しただけでなく、芸能誌にも数々の足跡を残している。そのなかから、いくつか紹介しよう。
「欽ちゃんコーナー」もヒット連発!
番組初期は歌の審査が終わった後、参加者を対象に司会の萩本欽一(初代、1971~1980年)が様々なゲームを行なっていた。だが、緊張している相手では上手く笑いがとれないため、第15回の放送で突然、会場にいた若い客をステージに上げる。それがバカ受けし、視聴率にも貢献。「欽ちゃんと遊ぼう」コーナーは番組名物となり、数々の遊びや人気者を生んだ。
今ではすっかり定着している「あっち向いてホイ」は『スタ誕』によって全国に拡散。他にも「フルーツバスケット」、「ドビン・チャビン・ハゲチャビン」などが流行した。一方、萩本の指名から芸能界入りしたのは“クロベエ”こと黒部幸英と“高松くん”こと西山浩司。アシスタントを務めたリンリン・ランランも「ふりまねコーナー」で人気者に。
臥薪嘗胆!? 落選をバネにしたスターたち
あまたの才能を発掘した『スタ誕』だが、取りこぼした例ももちろんある。審査員の眼鏡に適わず落選したものの、その後、違う道から芸能界に入り、名を成した人物は意外と多い。
決戦大会まで進みながらスカウトのプラカードが上がらなかったのは、マッハ文朱、本田美奈子.、德永英明など。ちなみに本田・德永と同じ決戦大会に出場し、1人だけデビューを果たしたのが、のちのバラドル・松本明子であった。
テレビ予選で敗退したのは、日野美歌、柳葉敏郎、“ロマンポルノ界の聖子ちゃん”と呼ばれた寺島まゆみら。予選会で落選した中には、大江千里、ASKAら、大物シンガーソングライターの名も。逃がした魚は大きかった!?
『スタ誕』が塗り替えた芸能界の勢力図
1970年代前半、芸能界では渡辺プロダクションが圧倒的な力を持っていた。当時の所属タレントは布施明、森進一、沢田研二、小柳ルミ子など、一枚看板がずらり。しかし『スタ誕』が始まり、ホリプロなどの中堅事務所が有望な新人を獲得すると、その差は急速に縮まっていく。
もともと良好な関係だった渡辺プロと日本テレビだが、1973年、同プロが自前のオーディション番組を日テレの『紅白歌のべストテン』の同時間帯にぶつけたことから確執が表面化。『スタ誕』をはじめ同局の歌番組に渡辺プロのタレントが出演しない事態に発展する。
80年代に入って関係は修復されるが、時すでに遅し。“ナベプロ帝国”は瓦解し、芸能事務所は群雄割拠の時代に突入した。