早稲田大学から2010年のドラフト1位で日本ハムに入団した「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹が、今季限りで引退する。故障に泣いたこともあり、プロ生活11年で15勝しかできなかった(10月16日現在・以下同)。
2006年夏の甲子園決勝で、早稲田実業の斎藤佑樹は駒大苫小牧の田中将大(現・楽天)と投げ合い、決勝再試合の末に優勝投手となった。野球ファンの間で話題になるのは、「もし斎藤が高校卒業直後にプロ入りしていたらどうなっていたのだろうか」という点だ。プロ野球担当記者が話す。
「当時から言われていたことですが、大学に進学するのは主にドラフトで指名されない、もしくは下位指名になりそうな選手がほとんど。上位指名が確実視される中、将来的にプロを目指す選手がわざわざ進学するケースはあまりない。高校時代に斎藤佑樹がプロ入りを表明していれば、複数球団が1位指名を検討したのではないでしょうか。
線の細い彼は大学4年間でプロに通用する体づくりをする目的もあって進学したが、結局それを果たせたとは言い難い。大学2年の時に股関節を故障したことも、プロ入り後に活躍できなかった一因でしょう。斎藤以前から甲子園を沸かせた投手の中には、大学でケガに泣いて野球人生の歯車が狂った選手が何人もいました。だから、高校生の時に上位指名される実力があるなら、プロ入りするに越したことはないと思います」(以下同)
1991年、春の仙台育英戦でノーヒット・ノーランを達成し、夏には優勝投手に輝いた大阪桐蔭の和田友貴彦は「神宮で野球をやるのが夢」と先輩も多い東洋大学に進学。2年のリーグ戦で春秋合わせて11勝を挙げる大車輪の活躍を見せた。しかし、その後は故障続きで、プロ入りは叶わなかった。
1994年夏の準優勝投手である樟南(鹿児島商工)の福岡真一郎は九州産業大学1年の4月の福岡教育大戦で、11打者連続奪三振という福岡六大学野球の記録を樹立。この試合は延長12回188球完投勝利と幸先の良いスタートを切ったが、秋に右肩を痛め、思うようなボールが投げられなくなった。2人とも、プロ入りには至らなかった。