水谷豊(69)が主演を務めるドラマ『相棒』(テレビ朝日系)が、「season20」の節目を迎えた。今でこそ「杉下右京」のイメージが定着した水谷だが、そこに行き着くまでには、長くスターの横で彼らの輝きを“引き立てる”苦節の時代があった。
今でこそ名優としての地位を不動にした水谷だが、その俳優人生は浮き沈みの連続だった。
水谷は根っからの俳優志望ではなかった。13歳の時に劇団ひまわりに入団し、子役として活躍したが、それは子供時代の一時の好奇心に過ぎなかったという。
実際、16歳で手塚治虫の漫画を原作とするドラマ『バンパイヤ』(フジテレビ系)の主人公に抜擢され、18歳で映画『その人は女教師』に出演したが、その年にあっさりと芸能界からフェードアウトする。
しかし、大学受験に失敗した後、家出して公園で野宿したり、住み込みでアルバイトをしたりしていた20歳の頃に、かつての知人に促されて稼ぎのために俳優として復帰することになった。
アルバイト感覚で始めた水谷だったが、本人の意思とは裏腹にオファーが殺到した。
ドラマ『太陽にほえろ!』(1972年・日本テレビ系)の記念すべき第1話で演じた犯人役もそのひとつだった。同作を手がけた元日本テレビプロデューサーの岡田晋吉氏が振り返る。
「わかりやすい悪人ではなく、複雑な背景や人物像を演じられる若い役者が必要だった。そこでかねてから仕事をしたいと思っていた水谷君を起用することにしました。彼は若いけれど、芝居の上手さは抜群でしたから」
『太陽にほえろ!』にはその後も度々犯人役としてゲスト出演し、刑事役のショーケンこと萩原健一や松田優作とも共演した。岡田氏によれば、起用にはこんな狙いもあったという。
「ショーケンにしろ優作にしろ、当時はまだ俳優としての経験が少なかった。水谷君は年齢こそ2人より少し下ですが、役者としてのキャリアは長い。だから現場で彼らをサポートしてもらおうと思ったんです。
とくに優作の場合は、水谷君に『頼むよ』とリードしてもらっていました。撮影現場でカチンコが鳴ってから演技を始めるタイミング、石原裕次郎をはじめ大物俳優と一緒に仕事をしていく上での振る舞い方など、役者入門のガイドのような役割をこなしてくれましたね」(岡田氏)
優作とは初共演で意気投合し、暇さえあればつるんで遊んでいた。
それでも、スター俳優として眩い輝きを放ったショーケンや優作とは違い、水谷自身が脚光を浴びることはなかった。
好機が巡ってきたのは、ショーケンの弟分・アキラを演じたドラマ『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)だった。独特のイントネーションで「ア~ニキ~」と言いながらショーケンについて回る、ちょっと情けない水谷の不良役は、コミカルな中にも孤独と屈折を感じさせる演技で話題を呼んだ。