「空飛ぶ円盤」という言葉が登場して70年余り、UFO(未確認飛行物体)は多くの人々の知的好奇心をかき立ててきた。わが国初のUFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」が発足したのは1955年7月のこと。それから1年ほど経ったある日、主宰者・荒井欣一氏(故人)の自宅に入会希望の青年から1本の電話が入った。
青年の名は三島由紀夫。言わずと知れた若き文豪は、代表作『金閣寺』の連載と同時期に、研究会の一員となった。生前の荒井氏と親交があった科学問題研究家、竹本良氏が語る。
「初期メンバーである三島氏は、UFOの観測会が開催されるたびに高価な望遠鏡を持参して熱心に夜空を観測していたそうです」
三島は同会の機関誌に寄せた随筆で、熱海にUFO観測に出かけた日々をこう綴っている。
〈毎夜毎夜、いはゆるUFOが着陸しないものかと、心待ちにのぞいていましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした〉
米国から帰国し、報道陣に熱く語る場面もあった。
〈アメリカでは円盤を信じないなんてのは相手にされないくらい一般の関心も研究もさかんですよ─中略─(ラジオの深夜番組では)見た人の報告や科学的な検討や解説がされるんです〉
三島と同時期に、研究会のメンバーとして名を連ねたのが若き日の石原慎太郎だった。ただ、三島のような熱心さはなかったという。
石原は都知事時代(2007年)の定例会見で、当時、永田町で盛り上がっていた日本政府の「UFO論議」について問われ、こう述べている。
「私も(UFOを)見たいとは思うけど、特段の思い入れはないね」
三島は会を退会した直後の1962年、宇宙人をテーマにした異色のSF小説『美しい星』を発表した。
「三島氏は、科学で説明のつかないUFOや宇宙人に純粋な興味を抱いていたのでしょう。生きていれば、より壮大な宇宙の物語を描いていたのでは」(竹本氏)
※週刊ポスト2021年11月5日号