10月26日に6年ぶり8度目となるセ・リーグ制覇を果たしたヤクルトスワローズ。投打がガッチリかみ合い、ベンチでは若手もベテランも声を張り上げる。今年のヤクルトには1990年代の黄金期が再来したような熱気があった。チームを率いる高津臣吾監督(52)は、名将・野村克也氏から「ID野球」の薫陶を受けた“野村チルドレン”。快進撃に導いた「師の教え」とは──。(前後編の前編)
1点を守り切る
昨年までの低迷が嘘のようだった今シーズンのヤクルトスワローズ。開幕前に多くの評論家が「最下位」を予想したが、フタを開ければ堂々の戦いぶりだった。特に9月後半から10月にかけては連勝街道を猛進し、巨人、阪神を抜き去って、いち早くマジックを点灯させた。
ベテラン青木宣親(39)から山田哲人(29)、そして主砲の村上宗隆(21)につなぐ流れに加えて、1番センターには塩見泰隆(28)が定着。投手陣も2年目の奥川恭伸(20)がエース格に急成長し、先発から中継ぎ、抑えの必勝リレーも確立した。
個性的な面々を束ね、チームを勝利に導いたのが就任2年目となる高津臣吾監督だ。戦前の予想を覆す躍進の原動力として、スポーツ紙デスクは「高津イズムの浸透」を挙げる。
「高津イズムの神髄は、“1点を守る野球”です。高津監督は5月の巨人戦では、同点の場面で2死一、二塁から村上とオスナ(28)にダブルスチールさせ、その後の内野安打で1点をもぎ取り、逃げ切った。こうした1点を守る高津野球をシーズン序盤からチームに浸透させたことが、後半の快進撃につながりました」
この高津イズムの原点といえるのが、昨年亡くなった師匠・野村克也の存在である。高津氏は2019年10月の監督就任会見で「野村監督から野球の難しさ、奥深さを学んだ」と語っている。高津・野村両氏、そして「29年前のヤクルト優勝」をよく知るかつてのチームメイトの証言をもとに、深い絆で結ばれた高津氏と野村氏の関係を紐解いていく。
「野球はピッチャーだ」
万年Bクラスにあえいでいたヤクルトの監督に野村氏が就任したのは1990年。現役時代に史上2位の657本塁打を放ち、南海で選手兼監督も務めた野村氏は果断なチーム改革を進め、就任2年目にヤクルトを11年ぶりのAクラスに導いた。
迎えた勝負の3年目。シーズン終盤に荒木大輔の約4年ぶりの復活登板で上昇気流に乗ったチームは、奇しくも今季と同じ阪神、巨人とのデッドヒートを制して14年ぶりのリーグ優勝に輝いた。
チームを見事に再建した野村氏が旗印に掲げたのが、データを重視する「ID野球」だ。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
この信条を胸に、1球1球を大切にする緻密な野村理論を叩き込み、古田敦也、池山隆寛、岡林洋一、石井一久ら、常勝軍団の主力を育てた。そんなカリスマ監督の就任2年目に、ドラフト3位で入団したのが高津氏だった。