10月26日に小室圭さんと結婚した秋篠宮家の長女・眞子さん。小室さんの母親の借金問題が解決されていないことなどから、国民の間には結婚に批判的な声もある。作家の甘糟りり子さんはどう見たのか、見解を綴る。
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小室圭さんがニューヨーク州弁護士資格の試験に合格できなかったことが大々的に報じられた。もし自分が何かの資格試験を受けて不合格だったとして、それをニュースで取り上げられたらとてもストレスを感じるだろう。外を歩きたくなくなってしまうかもしれない。たいていの人がそうなのではないかと思う。
眞子さん小室圭さんの結婚にまつわる騒動を見ていて、改めて「人権」について考えた。皇室の方々にも人権はある。皇室の方々だって、「生命と自由を確保して、幸福を追求する権利」があるはずだ。もちろん小室さんにだってある。人権は生まれながらにして、誰しもが持つものだ。
眞子さんには好きになった人と結婚する自由がある。相手が多少自分たちの思い描いていたタイプと違うからといって、その結婚を止めさせる権利などマスコミにも世間にもない。ごくシンプルなこのことを私たちはつい忘れてしまう。彼女には、好きになった人と結婚する自由も相手の母親の借金問題であれこれと気を揉む自由もあるはずだ。
正直に言えば、私も婚約の第一報の時に茶髪の小室圭さんの写真を見た時、「チャラそう!」と感じたし、海の王子というミスコンの男性版のようなものに出ていたと聞いて、自己顕示欲が強いのかもしれないとも思った。自分だって若い頃はかなりチャラかったし、自分の自己顕示欲に思い切り振り回されていたというのに。自分のことはさて置き、皇室やそこに関わる人たちには高い高い品位やお行儀の良さを求めてしまう。チャラい人にだって人権はある。当たり前だけれど。
皇室は自分たちの税金で賄われているのだから物申す権利がある、という声をちょくちょく見かける。まるで自分が眞子さんに給料を払っているかのような意識に驚くが、仮にもし給料を払ってからといって、もしくは生活費を賄っているからといって、好きな相手と結婚する自由を脅かす権利など誰にもない。
皇室の方々は国民の象徴として存在しておられる。日本という国を象徴し、日々この国の伝統を守り、行事を守り、精神や姿勢を守り、生きていらっしゃる。