「気楽に飲める。この店は自分の家みたいなもん。気楽に来られる家やねん。家が二つあんねん(笑い)。店で隣り合ったら、もう友達や」(60代、ビル管理業)
幸せ顔の常連客がくつろぐ『楠酒店』は、JR大阪環状線・桃谷駅から徒歩10分ほどの静かな住宅街にひっそりと建つ。
通りから中は見えないが、日に焼けた若草色の庇(ひさし)に下がる小さな紺色の暖簾の先では、細長い角打ち台越しに、常連客と店主がのんびりとお喋りを楽しんでいる。
「すぐそこに『極楽温泉』っていう古い銭湯があってな、銭湯帰りの人もいるよ。子供のころからここに住んでるけど、昔は風呂がない家もあったよね。私も小さいころはよう行ったよ。いまだに番台におばちゃん座っとって男湯も丸見えや(笑い)」(60代)
「このあたりは大阪の繁華街に近いし、大きな病院も近くにあって、わしら年配にとって暮らしやすい静かな下町やな」(同前)
楠酒店は、昭和の時代からこの地で商(あきな)って60年になる。
「真面目で仕事に一途」と常連客に慕われる2代目店主の楠久範さん(60歳)が、妻の国子さん(56歳)と営む地元密着の店だ。
「先代の父親は鶴橋の酒屋で修行していて、この地に店を構えたんだけど、最初はお得意さんもなかなかできなくてね。そこで、母が角打ちを始めたんです」(店主)
「親父さんの代から来とるから、よそへはよう行かん」(70代)と、毎日仕事帰りに直行するという客が、冷やっこやトマトなどをアテによく冷えた酒を目を細めて飲んでいる。
「酒好きには正直者が多いよね。上っ面じゃなくて、本音で喋ってるでしょう。そういう話が聞けるから角打ちやっているのが面白いって思うんです。簡単なつまみしかないけど、毎日お客さんが来てくれてありがたいですね」(店主)
「私は、店に立ち始めた当初、接客をした経験もなかったから、それは緊張しましたけど、今では地元のお客さんに囲まれて楽しくやっています」と、控えめに語る妻の国子さん。
常連さんとの会話のキャッチボールにもすっかり慣れた様子だ。
「どこか懐かしい。佇まいも店の雰囲気もなんや昭和っぽいところが好き。昭和生まれやからね。
昔っから酒屋としては知っていたんだけど、若いときはよう入れんかった。そやけど、気がついたら年相応になっていて、いつしか1人でふらっと来られるようになっていたんですよね。店主も穏やかで感じがええから、初めての人でも、(店主と)話しやすいと思うわ」(60代、建設業)。