作家・瀬戸内寂聴さん(享年99)の訃報に、列島が悲しみに包まれている。とりわけ、瀬戸内さんが後半生をかけて心を寄せた東北地方の方たちにとっては、大きな衝撃をもって受け止められたのではないだろうか。瀬戸内さんは1922年、大正11年生まれ。『花心』『夏の終り』など多数の代表作があり、小説家として誰もが知る活躍をしてきたほか、僧侶としても精力的に活動を続けてきた。岩手県二戸市の天台寺で「青空説法」として長年にわたり法話を重ね、悩みを持つ多くの人を笑顔にしてきたほか、2011年の東日本大震災後にはたびたび被災地を訪れ、現地の方々と対話を続けてきた。
東日本大震災で多くの命と物が失われたあの年、週刊ポストでは瀬戸内さんの“誌上説法”を掲載していた。在りし日を偲び、説法を再掲載する(週刊ポスト2011年4月15日号より)。
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被災地で暮らす方々は、その日を生きるのに精いっぱいで、今夜の寒さをどうするか、明日の食事をどうしようかと、気持ちを高めて一日を乗り切っているのが現状であることと思います。心の痛みについて考えたり、感じたりしている時間はないことでしょう。
けれどもしばらく経つと、哀しみや沈んだ気持ちがどっとやってくるわけです。気持ちもウツになるでしょう。そのとき私たちは、被災者のことを決して忘れずに、誰か一人でもいい、被災地に暮らしているお友達でもいい、話し相手になったりずっと付き合ったりしていく気持ちでいるべきです。
人生にとっていちばん大事なのは、目に見えないものですよ。
心は目に見えないし、神も仏も目に見えません。だけど、その目に見えないものが、人生を本当に左右させているんです。
戦後の日本人は、金や物といった目に見えるものばかりを大事にしてきました。外国人がびっくりするほど勤勉に、もとにあったものを取り戻そうとしました。
お茶碗一つ取り返したら、今度はお盆が欲しい。その次は机も欲しい。着るものがあったら、次は飾る宝石が欲しい。その情熱によって、何もなかった日本は世界で有数の経済国になったでしょう。
でも、そのとき心はどうだったのでしょう。幸福を守るのはお金ではなく目に見えないものなのに、それをどう扱ってきたか。だからこそ、いま最も疎かにしてはならないのは心です。祈りです。そして知識ではなく、人に優しく振る舞い、困っている人たちを助けようとする智慧です。
たとえあらゆる物が消えてしまっても、体が残れば必ず心は残る。心さえ失わなければ、人はなんとかやっていける。私たちはその心を大事にしていかなければなりません。自分のためではなく、誰かのために祈る心。自分以外の人のための祈りは、いつか報われるときがくるからです。
取材・構成■稲泉連 撮影■太田真三
※週刊ポスト2011年4月15日号