日本シリーズそっちのけで話題を振りまくのが、日本ハム監督に“電撃就任”した新庄剛志氏だ。ド派手な服装、独特の“新庄節”、確かな野球センス──「宇宙人」と呼ばれる新庄氏の手腕に期待が集まるが、この異端の野球人はどのように育てられたのか。10年前に亡くなった父・英敏さん(享年70)が、本誌・週刊ポストに明かしていた新庄氏の歩みとは。【全3回の1回目】
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「これからは顔を変えずにチームを変えます」「監督と呼ばないで。ビッグボスでお願いします」──プロ野球・日本ハムの監督に就任した新庄剛志氏は、11月4日の就任会見から日本中の度肝を抜いた。
ワインレッドのスーツに襟高シャツで登場して“新庄節”で話題をさらうと、直後の沖縄・国頭村での秋季キャンプには、現役時代のリストバンドにも使った“新庄カラー”の真っ赤な上下ジャージで現われた。
この「赤」は幼い頃から新庄氏のトレードマークだったという。
「私の好みで子供の頃から身につけさせていました」
2001年1月、『週刊ポスト』インタビューでそう明かしていたのは10年前に亡くなった父・英敏さんだ(享年70、2001年2月9日号掲載)。新庄氏がMLBのニューヨーク・メッツへの移籍を決め、脚光を浴びたタイミングでの取材だった。
福岡市内にある新庄氏の実家は造園業を営んでおり、軒先には「新庄造園」とプリントされた白いトラックが停まっていた。そこに現われたのが、真っ赤な法被を羽織った英敏さん。開口一番、「宇宙人の父親ですが……」と話を切り出した。
「この赤はね、剛志がリストバンドにつけているのと同じ赤です。小さい頃、よく造園の現場に連れて行っていました。大人のなかで育てれば物怖じしなくなると思ったからです。実際、どこに行ってもマイペースでやれていますよね(笑)。
ただ、鼠年生まれなもんで、とにかくチョロチョロする。交通事故には8回も遭いました。自由奔放に遊ばせてやりたいが、迷子にならないかも心配で、どこにいても目立つように剛志には常に真っ赤なセーターやシャツを着せていたんです。それが“新庄カラー”になっている。赤は闘争心の色です。我が家の基本色、勝負色とでも言いましょうか、私も家内とのデートの時によく身につけていました」
英敏さんは2011年8月に食道がんで亡くなったが、新庄氏のことを常に気にかけていた。取材当時、自宅の居間には息子が出演したテレビ番組のビデオが並び、「前年4月のタイガースカレンダー」が吊るされていた。球団カレンダーにおいて開幕シーズンの4月に配されるのはスター選手。この時の阪神の“4月の顔”はもちろん、看板プレーヤーだった新庄氏だ。
「『宇宙人』とはうまく言ったもんだ。親の私ですら、剛志が何を考えているのかわからないですからね」