昭和の大投手であり、王貞治と「宿命のライバル対決」を繰り広げてきた江夏豊。さまざまな勝負を挑み、時に大きな一発も浴びてきた江夏が、その対決や王貞治について振り返った。【前後編の後編】
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王さんの涙
忘れられないホームランといえば、昭和46年9月15日、甲子園の阪神-巨人24回戦の9回逆転スリーラン。最終回、ランナー二人を塁に置いている場面で、王さんに回ってきた。このとき王さんは3打席まで3三振で、「相当、苦しんでるな」ってマウンド上で思ったくらい調子悪かった。
キャッチャーのダンプ(辻恭彦)さんがマウンドに2回か3回来て「豊、カーブを放れよ」って念を押して言うのよ。今の王さんにカーブを放れば三振を取れるとわかっていても、王さんから三振を取るときはストレートで取りたい。それがライバルに対しての敬意。カーブで殺すんじゃなしに、真っ直ぐで殺してあげたいと。
当たり自体は決して良くなく、打った瞬間ライトフライやと思った。ライトの藤井栄治さんがラッキーゾーンの金網によじ登ってグローブの何センチか上をかすめてのホームラン。おれだって現役時代、299本打たれているんだけど、その中でも忘れることのできない思い出だよね。
ダイヤモンドを回っている王さんが涙を浮かべているのが、マウンド上からわかった。後で王さんからも聞いたけど、泣いていたらしい。王さんも、あのホームランは生涯のうちに忘れることができない1本って言ってる。
反対に、王さんの調子が良くて、こっちの調子が悪いとき、いろんな手を使った。その中でも忘れられないのが、ノースリーの投球。わざとノースリーに持っていき、4球目にストライクを取って5球目が勝負。自分でそういう配球を考えた。
ノースリーに持っていったとき、王さんは「豊、調子が良くないな」って思っている。おれにとって王さんはライバルでもあり特別な人だから、普通の勝負ではダメなんだ。いくら調子が悪くても何とかして抑えるために、自分の持っている現状の力をどうやって生かすか、ほぼ毎日考えていた。必ず寝るときに、いろんなことを思い出して頭の中でシミュレーションした。