ドラマや映画、CMなどテレビで見ない日はない、水谷豊(69才)。俳優デビュー後、『傷だらけの天使』(1974年)に出演して知名度をあげた。まもなくテレビドラマで主演の座をつかむが、俳優のトップランナーになるまでの道のりは、決して平たんではなかった。俳優歴50年を超える彼の素顔をよく知る人たちの証言から追った。【全3回の2回目】
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熱血教師役で新境地を切り開く
1976年には映画に進出。長谷川和彦監督が手がけた『青春の殺人者』で主演を果たす。実際に起きた親殺しの事件を題材にしたこの映画でも、水谷は屈折した若者を演じた。
そんな彼に、これまでとはまったく違う役が巡ってきたのが1978年。出世作の1つといえる『熱中時代』の小学校教師・北野広大役だ。
北海道から出てきた新米教師“北野先生”は純朴で底抜けに明るく、いつも子供たちの味方だった。この作品が水谷を語る上で欠かせないのは、初めから、水谷ありきで持ち上がったドラマだったからだ。社会学者の太田省一さんが語る。
「企画・演出を担当した日本テレビ(当時)の田中知己さんが、同作のDVD−BOXの特典映像で『ブレークしたものの、印象的な二番手というイメージがついてしまったため、水谷さんは主役しかやらないと心に決めているようだったので、その意を受けて、“水谷豊ショー”をやろう!とした』と語っていました。そんな中から水谷さんと小学生を中心にしたドラマの企画が生まれたのです」
『熱中時代』は大ヒット。水谷は主演俳優として不動の地位を手にいれる。
この北野先生役にも「のちの杉下右京役に通じるものがある」と太田さんは分析する。
「それまで演じてきたアウトロー的なイメージの役とは違い、この作品で水谷さんの新たな側面を見せることができました。
北野先生は、子供たちのためなら校長などの上司に当たる人たちにも歯向かっていく熱血教師。役柄は違いますが、そこにはどんな巨大組織や強い権力に屈せず、忖度することもなく自分の正義を貫く、『相棒』の杉下右京と重なるものがあります。
『熱中時代』という作品に出演したことで、その後の水谷さんの演じる役柄を通して“正義とは何か”というテーマが一貫して描かれるきっかけになったように思います」(太田さん)
2時間ドラマでも視聴率が取れる俳優に
『熱中時代』は全話平均視聴率27%と高視聴率を獲得。以降、水谷は視聴率の取れるテレビスターとして人気を博すことになる。
その後は活動の幅を広げ、1979年制作の『熱中時代・刑事編』(日本テレビ系)では主演を務めるだけでなく、主題歌『カリフォルニア・コネクション』も歌い、65万枚を超えるヒットを記録した。
元日本テレビプロデューサーの岡田晋吉さんは「この頃から、テレビ界では『水谷豊を出せば当たる』といわれるようになりました」と振り返る。
それ以降、水谷は1982年に『あんちゃん』、1983年に『事件記者 チャボ!』、1987年からは『浅見光彦ミステリー』(いずれも日本テレビ系)などのドラマに主演。いずれも高視聴率を獲得していく。