放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。73歳の高田氏が、89歳の野末陳平氏や84歳の山藤章二など、自分のまわりの先輩達についてつづる。
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立川談志、没後10年の出版ラッシュにテレビ・ラジオ。ひとまず落ち着いたと思ったら私のまわりのお年寄り、先輩達の人生もいろいろあって大変。
大好きだった酔っ払い、寄席の名物男、歩く伝説。川柳川柳(90歳)が死んじゃった。師匠というより友達・仲間という感覚でつきあった。私の無二の親友、右朝も左談次も早逝したが酔っ払い同士よくつるんでからんでまわりから嫌がられたアハハ。
いつ寄席へ行ってもネタは「ガーコン」。古い歌謡曲やら軍歌で世相を斬っていった。反骨精神だけは大看板だった。
10年ぶりにMXテレビで『談志・陳平の言いたい放だい』2時間スペシャル。スタジオ進行する志らく、伯山と渡りあった野末陳平(89歳)がひたすら様子も良く元気なので皆なからびっくりされた。
普段はヨボヨボのお爺ちゃんなので手をひいたりして一緒に昼メシなど食べるが、いざテレビとなるとお洒落なハットをかぶりなかなかのダンディぶり。やはり一度でもマスコミで売れに売れた人は、人前の出方というのをちゃんと知っている。
古いVTRの中、張り扇を持った談志と陳平が延々叩きあってるのが芯から下らなくてとても良かった。友達ってのはいいもんだ。近々90歳なので我々“さんぽ会”で小さな「卒寿会」をやろうと思っている。古い事を知ってる人には長生きしてもらわなくちゃ。
ある雑誌が「丸々 柳家小三治(81歳)特集号」を作りたいので対談を──と言われ矢野誠一(86歳)と小三治を語る。「東京やなぎ句会」という俳句を作る会があってメンバーは永六輔、小沢昭一、桂米朝、小三治、矢野誠一らもの凄い面子。ほんの少し前、新宿紀伊國屋ホールで矢野誠一と並んだ席で小三治の高座姿を見たばかり。私が「ひょっとして、やなぎ句会で生きているの矢野先生だけじゃないですか?」とストレートな質問をすると「そんな事は気がつかなくていいから」と紳士的にたしなめられた。