【書評】『蓬莱の海へ 台湾二・二八事件 失踪した父と家族の軌跡』/青山惠昭・著/ボーダーインク/2420円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
なぜ父は失踪してしまったのか。生死さえわからぬまま四十数年が過ぎたとき、息子の青山惠昭は父・惠先が「台湾二・二八事件」に巻き込まれ非業の死を遂げたと確信した。以来、事件当時の証言や資料を集め、やがて協力者も得て、台北高等行政法院(裁判所)に提訴。事件の犠牲者として認定補償が認められたのは事件から約七十年後。外国人としては初だった。惠昭は事件の真相と、歴史の荒波に翻弄された家族の軌跡、さらには父のルーツの奄美、沖縄、台湾の近代と戦後を描いていく。
二・二八事件は、一九四七年二月二十八日に起きた台湾民衆の国民党政権への抗議行動が全土に広がるなか、国民党政府が約三ヵ月にわたって武力鎮圧し、民間人を虐殺した事件だ。犠牲者は一万八千人から二万八千人とされるが、実数は不明だ。台湾で事件は長くタブーだったが、八〇年代末の民主化により調査が進んだ。
日本は四五年までの半世紀、台湾を領有し、多数の日本人が移住した。鹿児島県奄美群島、与論島に生まれた惠先は、九州の炭鉱などで働き、三五年に漁師の従兄がいる台湾・社寮島(現和平島)へ渡った。そこは沖縄出身の漁民が多数居住し、台湾人とのよい関係も築かれていた。惠先は沖縄本島で生まれ、両親らと移住した美江と結婚、四三年に惠昭を得る。だがまもなく徴兵(二度目)され、ベトナムで日本の敗戦を迎えた。
四六年、惠先は復員。滞留する鹿児島に来るよう促したハガキを台湾に送る。そのころ台湾では美江らが日本への引き揚げの日を待っていたが、待ちきれない惠先は翌年初頭、ヤミ船に乗って台湾へ向かう。けれども同時期、美江親子は引き揚げており、すれ違ってしまった。彼は社寮島で妻子を捜したのだろう。三月、軍隊に捕らえられ、処刑されたと考えられる。
その後、美江親子は米軍施政下の沖縄で困難な時代を生きた。著者の筆致は客観性を保ちつつ、自らの手で記録した迫力がある。個人や家族の体験こそが、国の歴史なのだと思い知らされる。
※週刊ポスト2021年12月17日号