もしも妻に先立たれたら──そんな仮定で人生を考えたことがない人が多いのではないだろうか。ただ、経験者の話を聞くと、長い人生のなかで“その時”に備えておくことが重要だとわかってくる。どのように悲しみを乗り越えていったのか、フリーアナウンサー・みのもんた氏(77)に聞いた。
* * *
フリーアナウンサーのみのもんた氏(77)は、2012年に40年以上連れ添った妻の御法川靖子さん(享年66)をがんで亡くした。その頃の心境をこう語る。
「いま思えば3年、いや5年くらい何も手につきませんでした。まさに“胸にポッカリと穴が空いた”ようで、それが全然埋まらなかった。それも“無限の空間”と言えるほどの大きな穴で、何かをする気力が起きない。それがずっと続く感じでした」
靖子さんとは大学時代に知り合い、1970年に結婚。結婚後は、食事や家事から仕事の衣装選びまですべてを託してきた。「100%女房の世話になっていた」と語るみの氏は、夫人の遺骨を納骨するまでに時間がかかったという。
「女房は“人生の同志”と言える人で、亡くなってお骨として家に帰ってきたことがなかなか理解できなかった。しばらくの間は、女房がずっと座っていた相模湾が見渡せるキッチンの椅子に遺骨を置いていました。七回忌になってようやく納骨できたのですが、気持ちの整理に時間がかかりましたね」
それまでは、朝昼のレギュラー番組の収録後に毎晩のように銀座に繰り出し、深夜に帰っても文句を言わずに待っていてくれたという靖子夫人がいなくなり、外出する気も消え失せて家に籠るようになってしまったという。それを救ってくれたのは親友の俳優・渡哲也氏(享年78)だった。
「家で話す相手がいなくなり、女房の遺骨に話しかけたりしていましたよ。自宅の寝室からは江の島の灯台がよく見えるんですが、夜になり一人暗闇の中で回る灯りを見ていると、『明日もこの光景が見られるのかな』と暗い気持ちになるんです。渡さんや親友たちは、電話をかけてくれたり、FAXや手紙を送ってくれて、そんな僕を救ってくれた」
また、子供たち家族の存在も大きかった。
「長男は『一緒に住もう』と提案してくれるし、頻繁に孫との食事会を開いてくれる。会うたびに大きくなっている孫を見るのがいまでは楽しみのひとつだね。ただ、孫たちに“どんなおばあちゃんだったの?”と聞かれると辛いですね。そのために、家中に女房の写真を貼っています」