いまやテレビでその姿を見ない日はない立川志らく。彼が伝説の落語家・立川談志の愛弟子だったことを知らない世代も増えていることだろう。だが志らく自身は、没後10年、片時も師匠のことを忘れたことはなかったという。志らくにインタビューを行った。【全3回の第1回】
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談志が死んで10年が経ちますが、亡くなった時に談志が自分の中に降りてきて、今も日々対話をしているので、月日が経った実感はありません。それは魂がどうのといったスピリチュアルな意味ではなく、伝統芸能というものは各々の弟子の中に師匠が残って、芸を極めていくものだと思っているので。
いつも高座が終わった後に、心の中で「師匠、今日はこんな落語をやりましたけどどうですか?」と問いかけて、「あそこがダメだ、ここがダメだ」と怒られるんじゃないかとか、これなら「よくやったな」と言ってくれるんじゃないかとか、いろいろ相談しながらやっています。
談志の師匠にあたる柳家小さん師匠が亡くなった時に、談志が葬式に出なかった理由を聞かれて「小さんは心の中に生きている」と言っていた意味が、今はよく分かります。談志は落語協会会長だった小さん師匠に反発して協会を飛び出して、立川流をつくりました。それでお葬式にも出なかったから、2人の関係を分からない外野からはいろんなことを言われました。しかし談志の真意は、伝統芸能において師匠は死ぬものではないということだったのです。
〈この10年で志らくには大きな変化があった。ワイドショーやバラエティなど、テレビに出る機会が増えて認知度が上がったことだ〉
今の姿を、談志はきっと喜んでいるはずです。
談志が生きていた頃は、テレビに興味がなかった。テレビに出なくても落語だけやっていればそれでいいんだと思っていたし、妙に名前が売れてしまうとイメージが固定化されて、落語がやりづらくなると分析していた。しかし、談志が亡くなった後、私の知らないところで「あいつはなぜテレビに出て売れようとしないんだ」「なぜ全国区になろうとしないんだ」と言っていたことを知りました。「テレビに出るくらいで落語家としての芸がダメになることはない」ということだったのでしょう。
だから、今の私を見ても、「当然だろう」と言うくらいで、ビックリはしないと思います。もっとも、テレビばっかりやっていると「いつまでも遊んでいるんじゃねえよ」と言うだろうし、コメンテーターとして常識的なことばかり言っていると、「もっと非常識なところで生きろ」と言うだろうとは想像できます。
思い出すのは、ある独演会のトークショーの時に「談志の名前は誰に継がせるんですか?」と司会者が談志に尋ねた時のことです。しばらく考えた談志は、舞台袖にいる私に「出てこい」と呼びかけました。洋服姿でしたが呼ばれたので出て行くと、そのタイミングですから会場は大盛り上がりです。