【書評】『中国料理の世界史 美食のナショナリズムをこえて』/岩間一弘・著/慶應義塾大学出版会/2750円
【評者】香山リカ(精神科医)
先日、ランチで入った店の隣のテーブルで、3人のシニア男性がさかんに「中国脅威論」を語っていた。やれ尖閣がやれ台湾がと話す彼らがおいしそうに食べていたのは餃子、春巻きに麻婆豆腐。そこは中華料理店だったのである。
中国の政治的姿勢や人権問題に眉をひそめる人も、中華料理ならたぶん大好き。アジア近現代史の研究者が書いた本書には、“世界で愛される中国”というソフトパワーとして機能する中華料理の形成と発展、普及のプロセスが、学問と文化へのほとばしるような情熱をもって記されている。
おもしろいのは、中国は国民国家形成に際して国策として「中国料理」を整え、広めようとしたのは確かだが、どうも話はそれほど単純ではないということ。世界各地で暮らす華人たちの工夫、さらには受け入れ国の歴史や現状なども相まって、アジア各国、アメリカ、ヨーロッパ各地でそれぞれの中華料理が創られ、愛されていく。
たとえば今ではベトナム料理の代表格ともいえるフォーも、もとは中華料理のタンメンの麺を小麦から米にし、そこにフランス料理の牛肉を入れて20世紀に生まれたものだそうだ。中・仏の文化の融合にベトナムのナショナリズムがスパイスとして加わった国民料理、とも言えそう。ベトナムのしたたかさに舌を巻くとともに、ベースとなっている中華料理の変幻自在さにも感心する。
そんな話が山のように出てくる。もちろん中国国内各地の中華料理も同様で、政治的意図が付与されそうになったり、食べたり作ったりする側のパワーで消されていったりする。言語は統一できた中国も、料理に関しては完全に統制することはできなかったようである。
本書は学術書ではあるが、具体的な料理名と写真がいっぱい出てくる。「中国の弱点を見つけてやる」と読み出した人も、おなかが減って近くの中華料理屋に駆け込みたくなるだろう。政治や経済だけでは中国はわからない。その文化にもぜひ目を向けてもらいたい。
※週刊ポスト2022年1月1・7日号