大晦日恒例のNHK紅白歌合戦。初登場歌手にサプライズ枠、トリを務める大物歌手にスポットが当たる一方、多くの歌手が「落選」という挫折を味わってきた。連続出場歌手が見てきた紅白の栄光と影。26回出場した美川憲一(75)が語る。
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紅白歌合戦に出て“一人前の歌手”になったら──その次も出続けなければいけないというプレッシャーと、出続けることはできるのだろうかという不安をずっと抱えることになるんです。
1965年に歌手デビューして1968年に紅白初出場。当時は歌謡界に毎年新人が参入してくるにもかかわらず、紅白出場を果たして一度でも落選したらもう次はないと言われた時代でした。だから7回連続出場して落選した時は、腹を括りました。
年の瀬が近づくにつれ、なんとなく雰囲気でわかるものです。NHKから連絡がくるメーカーさん(レコード会社)やマネージャーの顔色を見てるとね。出場歌手の発表に先立って私が落選の連絡を受けたのは、図らずも地方でNHKの『のど自慢』に出ていざ歌うというタイミングよ。察しはついていたから、マネージャーから電話で「紅白、落選です」と聞かされて、「あっそ」と一言だけね。
その後、1975年から1990年まで紅白からは離れましたけど、正直言って仕事がなかったわけでもないし、お金もあったのよ。ヒット曲が出て紅白に出てからはお月謝も150万円くらいに上がっていたし、温泉宿の1か月のステージで600万円いただいちゃうような時代でしたからね。斜陽の人と思われたくないから、ロールスロイスに乗ってオートクチュールの衣装に身を包んでいた。いつか紅白の舞台に舞い戻るチャンスはないものかとうかがっていたの。
そんななかで1988年の私の誕生日パーティーに、ものまねのコロッケを呼んで「私をやんなさいよ」って言ったの。それで1989年のお正月のものまね番組にコロッケと出演しないかと声がかかった。「これに乗っかってやるわ」と思ったわ。
1990年にはCMまできて、一気におネエキャラみたいなのが確立した。それで1991年に紅白から再びお呼びがかかったんだから嬉しかったわよ。「普通の歌手として出たい」なんてこだわりを言っている場合じゃなかった。とにかく世間様が見たい姿をお見せして歌を歌うのが紅白だと思っていたから、これは大いに盛り上げてやろうと思ったわ。
そこから2009年まで19年連続出場。毎年「来年はないわぁ」と思いながらもね。でも私は「勇退」だとか「卒業」だとかは言いたくなくて、あくまで「落選」がよかったの。最後まで出られるかどうかの挑戦をして、ダメならダメでいいじゃないっていう考えだからね。