【書評】『中国「国恥地図」の謎を解く』/譚ロ(ロは王偏に路)美・著/新潮新書/968円
【評者】関川夏央(作家)
中国は南シナ海のサンゴ礁を占有し、さらに埋め立てて軍事基地化している。周辺国の領海も公海も無視して南シナ海の「内海」化を試みる。返す刀で東シナ海と尖閣諸島に手をのばす。
なぜ中国は、帝国主義的膨張をためらわないのか。背景には、列強に膨大な領土を盗みとられたという「国恥」意識がある。それは一九三三年出版の小学校教科書に付された「国恥地図」に始まると、日本生まれでアメリカ在住の作家・譚ロ美は綿密な調査の末にいう。
一九一五年「二十一ヵ条の要求」につづき、一九二八年、北伐中の蒋介石軍は山東省済南で日本軍と衝突して敗れた。蒋介石を憤怒させ、愛国教育の必要性を痛感させたのはこの事件である。
本書に収録された「国恥地図」では、旧国界(古い国境)が赤線で囲まれ、それは現中国領の二倍以上になる。北は樺太からロシア領沿海州、バイカル湖以南のシベリアまで。西はカザフ、ウズベク、アフガンまで。東南アジアはインドネシアとフィリピンを除く全域が入り、東は朝鮮、台湾に加え、九州の奄美列島、沖縄・八重山が失われた中国領である。
もっともそれは領土というより、中国にかつて藩属、朝貢して中華文明の「恩恵に浴した地域」という意味で、清朝の、康熙・雍正・乾隆帝の時代に最大化した「理想の中国的世界」の歴史的記憶にすぎないのだが、それをもとに現代の海洋と島嶼を実効支配しようとするから紛争を呼ぶ。
南シナ海は中国の「内海」だと主張する点線(段線)も国民政府の「国恥地図」に始まる。その地図を流用した中国共産党政府は、やはり徹底した膨張主義的愛国教育を行った。「実は自分も、南シナ海とサンゴ礁は中国領だと信じている」と中国の教養人がやや苦しげに告白するのはそのためだ。彼らは新疆もチベットも内モンゴルも、はるか昔から自国領土だと疑わないだろう。あるいは沖縄も?
※週刊ポスト2022年1月1・7日号