大阪市北区の天満駅からほど近い雑居ビルに入ったカラオケパブ「ごまちゃん」で、稲田真優子さんが遺体で発見されたのは今年6月14日のこと。2021年に起きた事件のなかでも、その手口の残忍さが際立つ犯行だった。オーナーの真優子さんは1月に長年の夢だった自分の店をようやくオープンさせたばかりだったが、わずか5か月後、その店内で無念の死を遂げた。まだ25歳だった。
遺体発見の4日後、真優子さんの前職場時代も含め4年前からの常連客だった宮本浩志被告(56)が逮捕され、その後に起訴された。しかし、宮本被告は一貫して「店には行ったが、やっていない」と容疑を否認しているという。
事件から半年──本来ならば12月1日は、真優子さんの26回目の誕生日だった。70歳になる父・峰雄さんと、64歳の母・由美子さんは、その日を兵庫県尼崎市の自宅で静かに過ごした。大阪府警の捜査に否認を続けた被告に対する憤怒の想いは消えるどころか、増幅する一方だ。峰雄さんが話す。
「とにかく犯人が憎い。悔しい。私だけやなく、息子、孫も含めて、この先100年でも200年でも、あの男のことを追いかけ回したいというのが本心です。大事な娘を失った哀しみが消えることなんてない。すぐにでも自白してくれたら、私らもホッとできるんです。今でも一番つらいのは、天国にいる真優子やと思います」
由美子さんにとって真優子さんは、高齢出産の末に生まれ大切に育ててきた娘だった。毎年、由美子さんの誕生日にはメッセージカードを送ってくれる心優しい娘だった。由美子さんは「何もしてやれなかった」と自戒の念も抱えている。
「親ガチャやね。私らが貧乏でなければ、あの世界(水商売)で働くこともなかったかもしれないし、こんな最期を迎えることはなかった」
すぐには遺体と対面できなかった
真優子さんは貧しい幼少期を過ごし、中学時代には一時期、不登校に。高校へは進学したものの、2年生の時に自主退学。すぐに働きに出る一方、高等学校卒業程度認定試験に合格し、通信制の大学では心理学を学んでいた。そうした学費は両親を頼らず、カラオケバーや葬儀屋などでのアルバイトでまかなっていた。峰雄さんが振り返る。
「やりたいことがあるならなんにでも挑戦しなさい、と伝えていた。資格取得にも娘は興味を持っていましたし、車の普通免許だけでなく、中型バイクや水上バイクの免許も取得していた。両親思いの子でね。私らの誕生日などには、大阪まで食事に連れ出してくれたりしていました」
筆者も彼女の店の常連客のひとりだった。初めて会ったのは約3年前。どこか暗い過去を感じさせる一方、愛らしく「まゆ太郎と呼んでください」と笑顔で話す姿は今も覚えている。年月を経るなかで、無理して水商売に身を投じていることが伝わってきていたが、いつしか「自分の店を持ちたい」と話し、大学もやめて開店の準備に入っていた。旅先から写真を送ってくれることも多く、「ひとりで自転車にのってびわ湖を一周しているんです」と報告してくることあった。天真爛漫で、好奇心にあふれる女性だった。
宮本被告が犯行に及んだのは6月11日金曜日の21時過ぎと見られている。緊急事態宣言中ということもあり、「ごまちゃん」はアルコールの提供を停止し、時短営業をしていた。毎日のように足を運んでいた宮本被告は会計を済ませたあと、店の外のらせん階段に身を隠し、アルバイトスタッフが帰って真優子さんがひとりになるのを見計らって、凶行に及んだとされる。カラオケパブのため、防音には気を遣っており、また「ごまちゃん」が入ったビルは、1フロアに1店舗しかなく、上下の階は休業中だったことも、災いしたかもしれない。
店内に設置されていた防犯カメラは外され、内部にはSDカードがなかった。また、店外に隠していたキーボックスも、事件後に店内で見つかった。宮本被告が連日通うことでキーボックスなどの存在を認識していた可能性もあるだろう。
翌12日、アルバイトスタッフが店にやってくるもカギがかかっていて入れず、不信に思ったスタッフが関係者に連絡を入れ、翌日になって不動産会社に連絡を入れた。両親のもとに、不動産会社から連絡が入ったのは13日の夕刻頃だった。
「まさか店内にいるとは思わんかった。もちろん、心配はしていましたけど、どこか遊びに出かけていて、たまたま連絡が取れないだけなのかなと。それぐらいにしか考えていなかったんです」(由美子さん)