【書評】『香港 ひざし まなざし』/蔵真墨・写真・文 ギャビン・フルー・訳/ふげん社/4950円
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
香港への初めての旅は1987年だった。その三年前、英中共同声明により、1997年には香港の主権が中国へ返還されることが明らかになっていた。きれいなクイーンズイングリッシュを話す高校生に道を尋ね、あちこち散策した。数年後に再び行くと、老舗の飲茶店の一家はカナダに移住したと聞いた。それでも映画『恋する惑星』(1994年)を見て、香港は変わらないなと、ほっとしたのだった。
1990年10月に中国東北部へ行ったのは、いわゆる「残留孤児」二世の帰郷に同行した取材だった。前年に行く予定だったのだが「天安門事件」が起きたため延期になった。訪れた地域は当時外国人の入域が制限されており、緊張感が漂っていた。北京へ向かうバスの切符一枚を手にするのにも地域の有力者の口添えが必要だった。
北京の古い住宅街では開発のため期日までに立ち退くよう通告したチラシが目についたし、繁華街の路上には物乞いの少年がいて、共産主義国家の現実を垣間見たような気がした。それから四半世紀後、ニューヨークの高級中華料理店で大騒ぎする富裕層の中国人留学生グループと遭遇することになる。
2000年前後から台湾へ頻繁に行くようになった。私の祖父は大正期から台北で医院を営み、母も育った。私は台湾そのものの魅力にとりつかれたが、やがて戦後台湾が国民党政権の圧政の下、過酷な歴史を経て、民主化を勝ち取ったことを知っていった。
一四年の「ひまわり学生運動」の成果は、確執や挫折もあった民主化闘争の体験を台湾人が共有していたからだろう。同年、香港でも反政府デモ(雨傘運動)が起きた。やがて中国政府は香港の自治に介入し、ついには香港国家安全維持法を施行、激しい弾圧は増すばかりだ。
写真家・蔵真墨が香港を撮影したのは2012年と、2019年から2020年にかけてだ。優しい光のなかで香港人の日常や多様な国籍の人々が共存する様をとらえた。「なんでもない風景が今はない風景になった」という蔵の言葉が重い。
※週刊ポスト2022年1月1・7日号