新作ドラマの封切りのタイミングは心躍るものだ。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。
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1月10日、冬ドラマ『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系 月曜午後9時)がスタートしました。初回スペシャルの印象を一言でいえば、90分間画面に見とれてしまった。心を持って行かれてしまった。特に当方は原作(田村由美氏の同名コミックス)を読んでいないだけに、予想外の展開と着地も含めて衝撃的でした。
何がどう面白かったのだろう。何が心を掴んだのか。
ドラマが終わって考えてみるに……第一話の特徴としてまず言えるのは、映像的な動きが非常に少なかったこと。限られた場所と人。大半が取り調べ室の中。それなのにこれほどフィクショナルな世界が膨らみ、見ている人の気持ちを揺さぶるとは……。
主人公は大学生・久能整(菅田将暉)。殺人犯と疑われ警察の薄暗い一室で何日間も取り調べをうける。と設定は非常にシンプル。取調室は逆光気味。顔に陰翳が落ちて表情もクリアには見えない。そして机といくつかの椅子、その他に物がほとんどない。
殺風景な空間。その中で久能が語り出すと言葉が全体を動かし始める。そのセリフは異常に長い……見慣れたテレビドラマとは決定的に違っていました。一言でいえば「舞台とテレビドラマが融合した世界」に見えました。
たとえば一般的なテレビドラマの場合は、できるだけ状況を再現したセットやロケ現場が用意される。仕事のドラマであれば職場、家庭ドラマならリビングや玄関、青春ドラマなら教室と現実に似せた空間の中で、登場人物たちをめぐるさまざまな出来事が発生してはそれを映像的に見せていく、という風に。それに対して『ミステリと言う勿れ』は、全くと言っていいほど映像に依存していない。再現映像は圧倒的に少なくて、役者たちの会話によって物語が展開していった。いわば、舞台演出の手法の新鮮さが目立ちます。
舞台では、たとえセットがなくても主人公が「ここは私の職場です」といえばそのように見えてくる。いちいち視覚的な再現性を追いかけなくても「約束ごと」によって物語が動いていく虚構の面白さ。見ている人もその「約束ごと」を受け入れて一緒に虚構の世界を味わう。
それだけではない。久能の表情を観察すると、ほとんど動きがない。まばたきもせず、眉間のシワも寄せず、口も大きく開けず。表情は最小限、その抑制的な演技によってよけいに言葉は尖り、人々の想像を刺激する。久能を演じる菅田将暉さんは、一つ一つ丁寧にピンで止めるようにして言葉を置いていきました。淡々と語る中に鋭い論理性や批評性が輝き出す。長セリフを語る集中力は突出していて、久能という人物の造形もブレや迷いがない。中には原作イメージとズレている、と違和を指摘する原作ファンもいるようですが。
そして、時々挿入されるバッハやチャイコフスキー等のクラシックが物語世界を彩り、場を一気に転換させていく。言葉・セリフによる展開。モノがそぎ落とされた空間。照明を駆使した光と影。音楽による場面転換--まさしく舞台的な演出術の極みでしょう。