突如としてポスト岸田の最有力候補に浮上したこの男。4代続く世襲政治家でありながら、これまでスポットが当たらなかったのは、因縁深き家系のライバルが最高権力者として君臨してきたから。まるで源頼朝と平清盛─―林芳正・外相が、“令和の闇将軍”安倍晋三・元首相を追い落とす日は来るか。
政界では早くから「宏池会のプリンス」と見られていたが、政治キャリアに比べて総裁候補としては“遅咲き”だった林氏。同じ下関市を地盤とするライバルの安倍氏という大きな壁が立ち塞がっていたからだ。林家4代目の芳正氏は政界進出で安倍氏に一歩出遅れた。
安倍氏は父・晋太郎氏の急死で1993年総選挙に出馬、「弔い合戦」で父のライバルの林義郎氏(2位当選)を上回るトップ当選を果たす。だが、次の1996年総選挙区から小選挙区制が導入され、下関市は定数1の山口4区となった。林家と安倍家の選挙区の奪い合いだ。中尾友昭・前下関市長がその経緯を振り返る。
「どっちが選挙区から出るかという話になったとき、義郎さんは自分が比例に回って、若い晋三さんに譲ったんですよ。そして息子の芳正さんを参院に立てた。育ちでしょうかね。ガツガツしたところがまったくない」
地元では、「林家と安倍家の間には、いずれ芳正さんに選挙区を譲るという約束が交わされていた」(市議)との見方も根強くある。
林氏は安倍氏から2年遅れて1995年参院選で山口選挙区で当選する。この差が総理総裁への道を大きく遅らせることになる。7歳年上の安倍氏が自民党幹事長、首相へとトントン拍子で出世するのを尻目に、林氏は父・義郎氏の死後も衆院への鞍替えができずに、参院議員を5期重ねた。
安倍氏が山口4区にどっかり座り、選挙区が空かなかったからだ。「衆院への鞍替え」は林家の悲願でもあった。そこで林氏は自民党が野党時代の2012年総裁選で思いきった勝負に出る。一度退陣した安倍氏が再登板を目指して出馬したのに対抗して、参院議員のまま総裁選に出馬したのだ。
結果は予想を覆して安倍氏が総裁に返り咲き、林氏は最下位。この年12月の総選挙で林氏は大きな決断を迫られる。衆院「東京1区」への鞍替え問題だ。
「林さんは総裁候補に名乗りをあげることで衆院への鞍替えを有利にしたかった。だが、ライバルの安倍さんの復権で山口での鞍替えは難しくなった。そこで周囲から与謝野馨氏の引退で空白となっていた東京1区での出馬を勧める声があがった。東京1区で勝てば押しも押されもしない総裁候補になれると。しかし、林さんは山口にこだわった。あれで総理への道が10年遅れた」(岸田派ベテラン)