第28回「小学館ノンフィクション大賞」は100作品を超える応募の中から社内選考を経て昨秋、最終選考会が行なわれた。在日韓国・朝鮮人の戦後70年史や、コロナ禍の新宿歌舞伎町で蠢く人間模様、ベトナム戦時下の韓国軍による民間人殺害事件などを取材した最終候補4作品の中から、東京・山谷にある民間ホスピスの舞台裏を丹念に描いた『マイホーム山谷』(末並俊司 介護ジャーナリスト/53歳)ルポが大賞に選ばれた。受賞作は今春にも刊行予定。
【受賞作品のあらすじ】
『マイホーム山谷』末並俊司(介護ジャーナリスト)
東京都台東区の北部に位置する山谷地区は日本三大寄せ場のひとつだ。その中心部にある民間ホスピス『きぼうのいえ』は2002年に誕生し、2010年公開の映画『おとうと』(山田洋次監督)のモデルにもなるなど、全国にその名を知られる有名施設である。
施設を立ち上げたのは、山本雅基さんと妻の美恵さん。金銭的な損得を度外視し、既存の医療や介護システムでは救いきれない人たちに寄り添う2人の姿を、様々なメディアが“理想のケア”として取り上げた。
ところが、現在のきぼうのいえに山本夫妻の姿はない。美恵さんは2010年、きぼうのいえを取り上げたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』の放送翌日に「これ以上魂に嘘はつけません」との書き置きを残して失踪した。
妻の支えを失った山本さんは「山谷全体をきぼうのいえにしたい」という無謀な夢のために奔走し、失敗。2018年にきぼうのいえの理事長を解任された。その後、統合失調症の診断を受け、2020年11月からは生活保護を受けながら山谷でひとり暮らしをしている。
筆者は2018年から山本さんと連絡を取り合ううちに、山谷の街で独自に進化した地域ケアシステムの存在を知る。山谷のケアワーカーたちは互いに連携を取り、かつての山本夫妻のように医療や介護の仕組みが行き届かない部分にまで善意の手を伸ばし、ケアを必要とする人に寄り添う。この理想的とも思えるケアシステムに、現在の山本さんも生かされている。
山本さんはなぜケアを担う立場から受ける立場になってしまったのか。なぜ妻の美恵さんはきぼうのいえを去ったのか。山本さんの人生に絡みつく謎を追う中で見えてきたのは、理想と思えた山谷のケアシステムが、実は非常に危ういバランスの上で成り立っているという事実だった。
【受賞者の言葉】
末並俊司氏「親の介護から連なる偶然の産物」
物語のキーとなる人物に実際に会えたのは、2021年8月の初めだった。東京近郊、とある駅の駐輪場に2週間以上張り込み、もうほとんど諦めていたその時、美恵さんは現れた。蒸し暑い夏の日の夕暮れだった。声をかけ、話を聞きたい旨を伝えた。了承を得た瞬間、全身の力が抜けた。
山谷の町に『きぼうのいえ』を作り上げたのは山本雅基さん・美恵さん夫妻だ。2人のどちらが欠けても事は成就しなかった筈だ。だからこそ、山本さんだけでなく、美恵さんの口からも生の言葉を聞いておく必要があった。しかし彼女の消息は杳として知れない。いくつかの偶然が重なり、ようやく出会えたのは締切まで約1ヶ月というタイミングだった。
それまで書き進めていた原稿を大幅に削り、そして大幅に加えた。推敲というより書き直しだった。途中「全部ほっぽらかして逃げ出したい」と何度本気で思ったことか──。
2014年に両親が相次いで要介護状態になったことをきっかけに、私は介護や福祉に興味を持ち、今ではその分野を中心にライターの仕事を続けている。きぼうのいえの存在を知ったのもこうした背景があったからだ。
山谷に初めて足を踏み入れてからちょうど10年、数えきれないほどの出会いと嘘みたいな偶然が重なってくれたおかげで、作品を仕上げることができた。今回の受賞は山谷という町の介護や福祉の分野で活動する人たちを讃えたものものだと考えている。
【プロフィール】
末並俊司(すえなみ・しゅんじ)/1968年、福岡県生まれ。日本大学芸術学部卒業。1997年から報道番組制作に携わり、2006年からライターとして活動。現在は介護・福祉分野を中心に取材・執筆を続ける。
※週刊ポスト2022年1月28日号