スポーツ
2022.01.30 16:00
週刊ポスト
視聴率66.8%の東京五輪「東洋の魔女」鬼の大松と選手たちが歩んだその後
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映画『東洋の魔女』で「肋骨にヒビが入りながら練習を続けた」と語る篠崎洋子(手前)。チーム内のあだ名は「チートロ」。現在もママさんバレーを指導(写真/UFO production)
五輪の約4か月後、メンバーの中で最も早く結婚した半田百合子。披露宴は100ほどの報道陣が詰めかけ、テレビ放送された(写真/共同通信社)
ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』では、人気アニメ『アタックNo.1』の原点を東洋の魔女と捉え、作品内でコラボさせ話題に。(C)浦野千賀子・TMS
松村良子と矢田絹子の高校の後輩でもある松村勝美。社員寮では河西と同室で、多くの教えを受けたという。当時のあだ名は「チャビン」(写真/UFO production)
主力メンバーの一人である松村好子。チーム内でのあだ名は「フーテン」。3人の子ども、8人の孫に恵まれた(写真/UFO production)
チーム内で「パイ」とのあだ名がついていた谷田絹子。2021年の東京五輪の観戦を楽しみにしていたが2020年12月に死去(写真/UFO production)
20代のうちに結婚・出産をするのが当たり前だった時代に青春をバレーに捧げた魔女たちは、現在もバレーの普及に努める(写真/フォート・キシモト)
2021年11月、ドキュメンタリー映画『東洋の魔女』の上映会で登壇したメンバー。左から半田百合子、松村好子、松村勝美、篠崎洋子(写真/共同通信社)
ニチボー貝塚のトレーニング風景。17時に大松が練習に参加するまでは、レギュラーの6人がその他の選手の指導にあたった