理想の相手、結婚
松山は、1982年に婚約発表を行い、札幌市内のデパートに勤めていた一般女性の金田孝子さん(当時28才)の存在を明かし、その3年後の1985年12月に結婚。娘1人をもうけている。
一方、中島は現在も独身を貫いている。謎に包まれた中島の“恋”について、中島と大学時代のフォークサークルの仲間だった、喫茶店「ミルク」オーナーの前田重和さんは次のように語る。
「彼女がデビューしてからしばらくして、ぼくのお店に来てくれたことがあるんですよ。そのとき一緒にラーメンを食べに行ったのですが、『東京行って彼氏できた?』って聞いてみたんです。そしたら『こういう仕事をしてると一般の人とつながれないのよ〜』と言った後で、『私はね、彼氏に白馬に乗って来てもらいたいのよ。でもね、しばらくつきあっていると、空を飛んでほしいと思うようになるの。それは男性もつらいわよね、背中に羽は生えないもの』と言っていました」(前田さん・以下同)
そして結婚については、次のように漏らしていたという。
「彼女がまだ20才の頃、『結婚をするなら30才までにする』と言っていたんです。それ以上になったら子供を産むのに遅いからって。いまでこそ30代で出産するのは当たり前だけど、彼女は産婦人科医の娘だから、年齢と出産に関してはいろいろと思うことがあったみたい。まだ20才そこそこで、そんなことを考えているのか、と驚いた記憶があります」
いまもなお独り身でいるのは、中島なりに考え抜いた結論なのだろうか。
家族への思い
中島が2014年に母を亡くしたことを、本誌・女性セブン(2020年9月10日号)が報じている。公の場で家族のことをほとんど語ってこなかった中島だが、『週刊宝石』(1982年10月16・23日号)の取材では、次のように答えている。
《仕事はやはり東京が多いので、母親も年をとったし、1日でも一緒に住みたいっていうところです》
そして先述のとおり、中島は「ファザコン」を自認している。多くを語らずとも家族への思いは強かったことだろう。
その点は松山も同じだ。松山の両親をよく知る参議院議員の鈴木宗男さんは「千春さんも家族を大切にしていた」と話す。
「彼のお父さんは80才で亡くなり、お姉さんは48才のときに舌がんでこの世を去っています。そして 2021年1月にお母さんを、同年9月に弟さんを亡くしています。お母さんは99才まで頑張ってこられて、認知症で何もわからなくなっていたけど、千春さんは『生きた証に100才のお祝いを盛大にやるんだ!』と張り切っていました。あと2か月というところで亡くなられて、私も無念でした。千春さんはよく言いますよ、『貧乏したけど、この両親で、この家族でよかった』って。彼はご両親を心から尊敬していました」
松山はいまだ北海道に住み、足寄町に住民票を置いている。