北京冬季五輪フィギュアスケート男子で羽生結弦(27才)が3連覇の偉業に挑む。10代の頃からトップ選手として世界を相手に戦ってきた彼だが、学生時代はどんな生徒だったのか。(全5回の第3回)
2010年、羽生は世界ジュニア選手権で優勝する。日本男子史上初となる中学生での世界ジュニア制覇だった。その春に私立東北高校に進学すると、秋には高校1年生という異例の若さでジュニアからシニアに戦いの場を移した。ダルビッシュ有選手や宮里藍元選手の出身校でもあるスポーツの名門・東北高校には、他競技のアスリートたちも多かった。羽生が慕っていた同校の教員は、過去に『女性セブン』の取材でこう語った。
「羽生選手は体育の時間にクラスメートとはしゃぐなど、幼い一面もありました。学校では、表立ってフィギュアについて熱く語ることはありませんでした」
しかし小学生の頃の羽生は、「誰とでも仲よく楽しく」というタイプではなかったという。高校の同級生が言う。
「学校で羽生くんの笑顔を見た記憶は、ほぼありません。校内で友達をつくろうという気もなさそうな感じで、実際に友達はかなり少なかったんじゃないかな」
そうした羽生の行動は、人に無関心だったわけではない。そこにも、“一流”の思考が垣間見える。ソチ五輪ペア日本代表で、大会やアイスショーの遠征で羽生と行動していた高橋成美さん(30才)はこう語る。
「『ザ・アイス』という(浅田)真央ちゃんのショーに出るときは一緒に日光(栃木)を回ったりしていました。ただ、みんなといるときは人一倍ふざけて、おちゃらけた感じに振る舞うけれど、ホテルに帰ってくるとほかの選手が『お茶に行こうよ』と誘っても、ゆづだけは単独行動でした。部屋に戻って体を休めたり、ゲームを楽しんでいたようです。ダラダラと人と一緒にいようとはしないタイプですね」
“メリハリ”を持って人と交流する羽生だが、人一倍、気遣いのできる少年でもあった。
「私がけがをして、治療器具をいつも体につけながら移動している時期があったんです。その頃、ゆづは音楽を聴くときにイヤホンのケーブルをまとめるクリップのようなグッズを愛用していたのですが、私の治療器具のコードがぐちゃぐちゃになっているのを見て、『はい、これあげるよ』って、自分が使っているクリップをくれたんです。『返さなくていいよ』って。すごく優しいなあと思いました」(高橋さん)
(第4回に続く)
※女性セブン2022年2月17・24日号