2月1日に亡くなった石原慎太郎氏(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。『週刊ポスト』にだけ語っていた言葉を振り返る。
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若者に苦言を呈する一方、石原氏は自らの「老い」にも向き合った。
70歳を前に上梓し、ベストセラーとなった『老いてこそ人生』(幻冬舎)についてのインタビュー(2002年7月19日号掲載。以下同)では、人生の晩年について大いに語った。
若い頃からヨットやテニスなどのスポーツを好んでいた石原氏だが、55歳を過ぎてから体力の衰えを感じ始めた。
古稀が迫る頃には、「死」について思いを巡らせるようになった。
「人生に死があることは普遍の原理で誰もよく知ってはいるが、自分が死ぬことは不思議に信じてはいない。が、私のような年齢になれば、そろそろ『死』を信じなくてはいけない。いつかは死ぬ可能性があるんだ、いかにも年をとってきたなとか思うと、誰しも悩みも焦りもあるだろう。でも、実は、それが人生の面白いところだろうと思います」
可処分所得と可処分時間が十分にある年長者こそ、悩みや焦りを抱きながらも人生を楽しむべきと石原氏は主張した。
そして、長寿化が進む社会を生きる上で必要なこととして、「趣味」を持つことが大事だと主張した。
「俳句でもテニスでもジョギングでも、全く仕事に関係ない趣味を持てばいい。何かに夢中になると、絶対に新しい発見があるし、工夫が生まれてくる。仕事の書類にいくら精通しても、つまらない人間にしかならない。せいぜい役人か政治家ですよ(笑い)」
「老害」と言われることもある昨今の高齢者だが、年長者には豊かな人生経験がある。それゆえ、若い世代と年長者たちが積極的に交流することを石原氏は望んだ。
「若い人たちは年長者に物怖じせず、いろんなことを聞けばいい。高齢者にしても、若い人から物を聞かれるのはうれしいし、それに答えることで活性化されることもあるでしょう」