『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)は、1968年11月から1990年10月まで22年にわたり放送された生放送の歌番組だ。出演することがアーティストにとってステータスであったこの『夜ヒット』の魅力を振り返る──。
1970〜1980年代の歌謡界は、毎日のように生放送の歌番組があり、大いに盛り上がりを見せていた。その中心的存在が『夜のヒットスタジオ』(以下、夜ヒット)。最高視聴率42.2%(1969年3月17日)を誇る人気番組だが、スタート時は順風満帆ではなかった。
番組の立ち上げから参加し、1977〜1987年にプロデューサー兼総合演出を担当した疋田拓さんが当時を振り返る。
「フジテレビの月曜22時はドラマ枠でしたが、視聴率が振るわず打ち切りとなり、11月という中途半端な時期から急遽、新番組を立ち上げることになったんです。バラエティー要素をプラスした音楽番組を作ることは決まりましたが、“春までのつなぎ”ということから出演者がなかなか決まらず、にぎやかに見せるために7人グループだった鶴岡雅義と東京ロマンチカをレギュラーに起用しました」
その後、どう視聴率を上げ、アーティストが出演したいと望む番組になっていったのか──関係者から話を聞いた。
初回から番組終了まで変わらず行われていたのが、ほかの歌手の持ち歌のワンフレーズを歌い、その歌手を紹介しながらマイクをバトンリレーのように渡していく「オープニングメドレー」だ。
「当時の芸能界は、ほかの歌手の持ち歌を歌うのはご法度だったため、これを理由に出演を断る歌手が少なからずいました。でも、アイドルが演歌を歌い、演歌歌手がロックを歌うなど、意外性のあるリレーが注目されたのです」(疋田さん・以下同)