国民的スター・石原裕次郎のもとに渡哲也らが集まって生まれた「石原軍団」。『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972~1986年)や『大都会』(日本テレビ系、1976年)、『西部警察』(テレビ朝日系、1979年)など、ド派手なアクション路線で人気を博した。ドラマでは男臭いハードボイルドな集団だった石原軍団は、撮影現場では“よく遊ぶ大人の集団”の一面も見せた。
『西部警察』PARTIの途中から最終話まで刑事ジョー役で出演した御木裕氏が語る。
「渡さんが撮影現場でカマキリとクモを捕まえて、『どっちが勝つかな』と戦わせたことがあった(笑)。実に無邪気というか、遊びも一生懸命にやる集団でしたね」
当時、石原軍団で最年少だった石原良純は、「若いからたくさん食べろ」と地方ロケで先輩たちが残したおにぎり40個を頬張り、夜は宴会の場だった渡の部屋で先輩たちの酒の好みを覚えてレミーマルタンのオンザロックや水割りをせっせと作ったという。
「若手は早朝から撮影なので早く寝たいんですが、解散するのはいつも深夜2時すぎ。先輩たちを部屋まで送ると、そこでまた部屋飲みが始まる。誘われたら断われません。ようやく明け方に寝られると思ったら、もう撮影が始まる、なんてこともザラでした」(良純)
入浴の順番にも鉄の掟があった。
「地方ロケの時はみんなで大浴場に行くんですが、湯船に浸かる順番も決まっているんです。渡さん、舘さんと入って、下っ端の自分は最後。でも風呂から出るのは僕が最初です。先輩より先に出て、脱衣所で待っていなきゃいけない」(同前)
こうした行為は団結力を高める軍団ならではの“遊戯”だった。
「今振り返れば、石原軍団の厳しい掟は全部、遊びの延長にあった。確かに末端の人間はつらいけど、仕事も遊びも一生懸命やらないとダメなんです。遊ぶ時は腹をくくって本気で遊ばないと面白くない。
今ならパワハラと言われるかもしれないけど、僕はその分、面倒も見てもらって、『俺に何かあったら絶対に先輩が助けてくれる』と思っていた。今でも僕が舘さんに『どうしてもお金が必要だから1億円貸してください』と言ったら、貸してくれると思うよ(笑)」(同前)