「9才の自分にほめてもらえた」
たったひとりになっても、選手生命を懸けて4回転半に挑み続けたのはなぜか。羽生は会見で「9才の自分」の存在をこう明かした。
「ぼくの心のなかに9才の自分がいて、あいつが『跳べ』とずっと言っていたんですよ。ずっと『お前へたくそだな』と言われながら練習をしていて。でも今回のアクセルはほめてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか、ほとんどの人は気づかないと思うけど、実は同じフォームなんですよ。9才のときと。ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんです」
9才のとき、羽生は初めて出場した全日本ノービス(小学3~4年生のクラス)で優勝した。それ以来、彼はひとりではなかった。だが「リトル羽生」は北京で役割を終えたかもしれない。
「正直に言うと、五輪2連覇を果たしたとき、もうこれで引退だと周囲は思いました。でも彼をさらに4年間支えてきたモチベーションは4回転半でした。会見で『9才の自分』と語ったように、子供の頃からのスケート人生の集大成が4回転半だったんです。彼はそれをとうとう跳んでしまった」(フィギュアスケート関係者)
2月14日に行われた会見で羽生はこうも語った。
「ずっと壁を上りたいと思っていたんですけど、いろんなかたがたに手を差し伸べてもらって、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9才のおれ自身だったなって。最後にそいつの手を取って一緒に上ったなという感覚があって。そういう意味では、羽生結弦のアクセルとしてはこれだったんだと納得しているんです」
そう語る羽生の姿を万感の思いで見つめたのは家族だったはずだ。
「会見で羽生選手は『家族を守るのも大変なことです』と語りました。実際に羽生選手のお母さんは決して裕福ではない家庭環境のなか10年以上にわたって国内外で彼に付き添った、羽生ファンでもあります。わずかな休憩時間に痛み止めの注射を打ち、リンク上で『羽生結弦』であり続けた息子を見て、お母さんはもう休ませてあげたいと思っていることでしょう」(前出・フィギュアスケート関係者)
今後について、羽生の気持ちは固まっているのか。
「羽生選手なら4年後もメダルを争えます。それほどの実力を持っています。充分に休養してからもう一度リンクに戻ってきてほしいというのがファンや関係者の願いでしょうが、まだ引退か現役続行かの二択を考える時期ではないでしょう。
あれほどの選手なのでスポンサーや連盟への影響力も大きく、そう簡単に進退を口にできるわけではありません。難しい状況のなかで、各方面に気を使いながらも、彼なりに本音を語ろうとした記者会見だったと思います」(前出・フィギュアスケート関係者)
フリー演技で挑んだ4回転アクセルはISU(国際スケート連盟)に正式に認定された。3月には『世界選手権』(フランス・モンペリエ)が控えている。そこで再度4回転半に挑戦するのか、夢はまだまだ続く。
※女性セブン2022年3月3日号