日米を股にかけて活躍した千葉真一さん(享年82)が亡くなったのが昨年8月19日のこと。映画に人生を捧げた千葉さんは、一方で弟子や家族を思いやり、子供たちにも等しく愛情を注ぐ子煩悩な父親でもあった。長男の新田真剣佑(25才)が日本で本格的な芸能活動を始めたのは2014年。千葉さんが繰り返し教えたのは俳優としての基本的な心構えだった。千葉さんの愛弟子でジャパンアクションクラブの代表を務める西田真吾氏はいう。
「ひとつのセリフに込められた意味を考え抜き、演じる人物の生い立ちまで深く掘り下げることが大切だと説いていました。当時の真剣佑は『イッツオーケー』と聞き流していましたが、いまも彼の血肉になっています」(西田氏)
次男・眞栄田郷敦(22才)の経歴は異色だ。岡山の高校に進学し両親と離れて暮らした彼が当初、目指したのはサックス奏者だった。
「吹奏楽部で部長を務めたほどの腕前で、芸大を受験したものの不合格。兄のアドバイスもあって役者を志してからは千葉さんの家に住み込みで、猛特訓の日々でした。外郎売や早口言葉などの基本から叩き込まれ、あまりの厳しさに逃げ出したことも何度かあったといいます」(郷敦の知人)
兄の背中を追う郷敦に千葉さんはこう告げた。
「真剣佑は天才型だが、お前は努力を積み重ねないとお兄ちゃんのようにはいかない。ただ、それをやり遂げれば、最後に勝つのはお前だ!」
千葉さんともっとも長い時間を共にしたのは長女の真瀬樹里(47才)。
「千葉さんからあれほど熱心に殺陣を指導してもらったのは樹里さんくらいではないでしょうか。常に彼女に合う役を探して回り、2003年のハリウッド映画『キル・ビル』と2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』で親子共演も果たしています」(樹里の知人)
千葉さんは生前、3人の子供たちに室町時代に活躍した能楽の大家・世阿弥の言葉を贈っている。真剣佑には、「隠すということの中にこそ感動がある」という意味を込めて「秘すれば花」を、郷敦には客観的な目線を持つべしとする「離見の見」、樹里には限りない芸の向上を目指してほしいと「初心忘るべからず」を書にしたためて授けた。西田氏は書斎にこもって、筆を手にする千葉さんの姿がいまも脳裏に焼き付いているという。
「これじゃない、この字は違うと紙を破いては、何度でも書き直していました。『秘すれば花』の意味を図りかねる真剣佑に千葉さんは水鳥を例に出し、水の下で見えない部分をおろそかにしなければ、目に見える部分の表現も豊かになるとわかりやすく解説していました」(西田氏)