加齢に伴って腰の激痛などに苦しまされる疾患である脊柱管狭窄症。若い頃の無茶が原因にもなるこの病に、漫才コンビ「宮川大助・花子」で活躍する宮川大助さん(72)も苦しめられたという。
「僕はもともと腰が悪いわけでもなんでもなかったんですよ。でも、吉本興業にある野球チームで、命懸けで野球をやっとったのが無理したんでしょうね。僕はエースの4番でね。さんまさんだとか、ザ・ぼんちのまさとさんだとか、オール巨人さんとか紳助竜介とか、そういうメンバーと、マウンドで死ねたら本望やいうくらいやってた(笑)」
当時、宮川さんは30代前半。野球経験は子供時代も含め、全くなかったという。
「大人になるまで野球をやったことがなかったですからね。基礎知識もなんもないのに、30過ぎてはじめてやったら面白かった。とにかく4番のポジションを死守したいいう思いでやっとったんですよ、本気でね。
命懸けやからビュンビュン投げる。ピッチャーですからまず肘にきて、それをかばうために肩にきて、最終的に腰にきた、ということでしょうね。先発から抑えの切り札、その次は中継ぎ、最終的にはベンチを温めるようになってね。
ある時ね、将棋連盟のチームと試合をやったんですよ。将棋て指先だけ動かしてる人たちでしょ。簡単に勝てると思うとったんですよ。実際、最初の試合では完投で勝ったんですけど2回目は、あの人らむちゃくちゃ頭いいんで作戦負けですな。2回で8点取られて、結局負けた。いやぁ、将棋連盟に負けるようでは俺の野球人生もおしまいやないうて、その頃には相当腰が痛くなってきてましたね」