秋篠宮家の長男・悠仁さまが4月から筑波大附属高校(筑附高)に進学されることが発表された。都内でも屈指の進学校である筑附高に通われることとなった背景には、紀子さまの「愛子天皇待望論」に対する焦りがあったとも言われている。
「紀子さまは、愛子さま以上に悠仁さまが将来の天皇にふさわしいと、世間を納得させなければならないとお考えになったのではないでしょうか。その箔付けの1つが『学歴』だったのでしょう。悠仁さまが、たとえば東大に進学されれば、史上初の“東大出身天皇”になり、国民も信頼を厚くするかもしれない。そのためには、高偏差値の高校への進学が必要だった。そうして導き出されたのが、筑附高という選択肢だったのでしょう」(宮内庁関係者)
しかし、紀子さまの焦りは、あらぬ方向に働くことも。
「以前より、宮内庁は悠仁さまが“いかに優秀か”をアピールするのに必死でした。その1つが、昨年3月の北九州市主催『第12回子どもノンフィクション文学賞』の佳作受賞。わざわざ会見で発表し、大きく報じられました」(皇室記者)
ところが、2月16日に発売された『女性セブン』で報じたように、その作品には「コピペ問題」が持ち上がった。『小笠原諸島を訪ねて』と題した作品内に、ガイドブックやインタビューなどに掲載された他人の文章と酷似している箇所が複数見受けられたのだ。それらは参考文献として記載されていなかった。
「トラブルを知った紀子さまは相当なショックを受けられたそうです。ただその怒りの矛先は、充分な注意や確認を怠ったとして、秋篠宮家の職員や、文学賞への応募を促したお茶の水中の関係者へ向いているといいます」(前出・宮内庁関係者)
秋篠宮家は、かねて“ご難場”といわれてきた。
「紀子さまは抜群の観察力をお持ちで、細かいことにまで目が届く。しかし、なかには紀子さまの高すぎる要求についていけず、離れていった職員も多くいます」(前出・宮内庁関係者)
そして、秋篠宮家の信頼を失墜させる決定的な出来事が、眞子さんの結婚問題だった。お子さま方の自由意志に任せた教育方針を取られた結果、眞子さんは小室圭さんを選び、周囲の反対をよそに異例の結婚を貫いて日本を後にした。
「紀子さまは失地回復をしなければと焦られた。なにがなんでも悠仁さまを、目指すべき理想に連なるレールに乗せなければならなかったのです」(別の宮内庁関係者)
※女性セブン2022年3月10日号