「うるさい」「おせっかい」などと陰口を叩かれることも多かった「おばさん」が変わり始めている。お笑い界では阿佐ヶ谷姉妹がスターダムにのし上がり、ドラマ界では松嶋菜々子がテレビ朝日系ドラマ『となりのチカラ』で「占いおばさん」を演じて話題沸騰。女優・南果歩は「乙女オバさん」を自称し、そのままエッセイのタイトルにした。
自称する人あり、なりたがる人あり……おばさんが主役に躍り出るいまに至るまで、彼女たちはどんな変遷を辿ってきたのだろうか。古典エッセイストで『オバサン論』の著書がある大塚ひかりさんはいう。
「そもそも“おばさん”という言葉が生まれたのは意外と遅く、江戸時代の後期になってから。母や父の姉妹を示す『伯母(叔母)さま』から変化して、第三者の年配の婦人を指す言葉として使われていたようです。ただ、この頃は悪い意味はなく、“世話を焼く人”というニュアンスでした」(大塚さん)
それ以前の時代を振り返ると、『源氏物語』の中にも源典侍という“おばさん”が登場するほか、大塚さんによれば、奈良・平安・鎌倉時代の文学はおばさんが担っていると言っても過言ではないという。
「『万葉集』で大活躍の大伴坂上郎女は家持の文字通りの“おば”として、一族の中心となって歌の道を支えていました。教科書でおなじみの『蜻蛉日記』や『更級日記』も作者のおばさん世代によって書かれています。
また、誰も聞いていないのに自身の赤裸々な性生活を綴る『とはずがたり』の作者である後深草院二条が執筆を始めたのはおばさんになってから。日本文学の基礎の一部はおばさんによって作られたというのは間違いないでしょう」(大塚さん)
江戸から明治、大正と時代が移り変わる中でも、「世話を焼く中高年女性」というイメージにはそれほど大きな変化がなかった。エンタメの中でもそれは同様だ。明治時代を代表する文豪である夏目漱石の『坊っちゃん』には主人公の坊っちゃんの身を案じる女中の清が登場したり、長谷川町子が昭和中期に連載を開始した『エプロンおばさん』には下宿屋のおばちゃんとして周囲の面倒をみる主人公が描かれたりするが、それを見て「なりたい」と憧れるムードも、反対に忌避する風潮もなかった。
しかし1980年代の終わり、日本がバブル期を迎えるとその“おばさん観”が一変し、多くの人々の注目を集めることになる。そのきっかけとなったのは皮肉にも厚かましい中年女性の姿をコミカルに描いた4コマ漫画『オバタリアン』(1988〜1998年、竹書房)だった。
大仏パーマに膝下ストッキング姿のおばさんたちが世間の目を物ともせず街中をがに股で闊歩し、着古した洋服を「サイズが合わない」と返品したり、電車の席の小さな隙間にむりやり座ったり、男子トイレにずかずか入ったり……ずうずうしく無神経なおばさんの習性は笑いとともに大反響を呼び、「オバタリアン」は1989年の流行語大賞にもなった。