2月25日の参院予算委員会。いまだ出口の見えぬ新型コロナ対策に対し、質問に立った立憲民主党の蓮舫参議院議員(54才)は舌鋒鋭く迫った。
「いましか見えないんだったら、その先どうするんですか。総理ね、聞く力ではなく、聞き流す力じゃないですか! 野党から提案があったら受け止めていただきたい」
口角泡を飛ばして、岸田文雄首相や堀内詔子ワクチン接種推進担当大臣をたじろがせる。トレードマークの純白のジャケットは、アメリカの女性参政権運動のシンボルで、ここぞというときに彼女が身にまとう勝負服だ。
これまで何度となく永田町の男社会に切り込んで喝采を浴び、その反動でアンチも多い蓮舫氏。近年は主要ポストから外され、党内での存在感も鳴りを潜めていたが、この日は久々に蓮舫節が炸裂した。だが、その胸中は決して穏やかではなかったはずだ。永田町関係者が明かす。
「実は蓮舫さんの長男が、彼女の“宿敵”である自民党に入党届を出したのです。まだごく一部の関係者しか知らない話ですが、野党第一党の大物議員の子息が、自民党に入ること自体が異例中の異例。いったい何が起きているのかと、関係者が騒然となっています」
徹底的に与党を追及してきた蓮舫氏が、身内の思わぬ“造反”に遭い、家族崩壊の危機を迎えている──。
愛情をたっぷり注がれて育った息子が選んだ道は……
まずは彼女の波乱に満ちた人生を振り返ろう。1967年、蓮舫氏は台湾人で貿易業を営む父・謝哲信氏と、日本人で資生堂の広報を務めた母・桂子さんの間に生まれた。幼い頃から納得のいかないことに目を背けられず、正義感の強かった少女はすくすくと育ち、青山学院大学在学中の1988年にクラリオンガールに選ばれ、グラビアアイドルとして活躍した。
「アシスタントを務めた日本テレビ『スーパージョッキー』では水着姿で熱湯風呂に入った伝説も。次第にバラエティーから報道に主軸を移し、TBSやテレビ朝日の報道番組でキャスターを務めるようになりました」(民放関係者)
人生が大きく変わったのは2004年のこと。当時の民主党から参院選に出馬し、東京都選挙区で当選すると、ショートヘアにスーツの襟を立てたスタイルで脚光を浴び、数少ない女性議員として存在感を増していく。2009年に民主党政権が誕生すると、事業仕分けワーキンググループの仕分け人となり、居並ぶ官僚を相手に「2位じゃダメなんですか!」とたんかを切って注目を集めた。
プライベートでは1993年にジャーナリストの村田信之氏と結婚。1997年に双子を出産し、2010年にはベストマザー賞を受賞した。過去のインタビューでは子供へのあふれる愛をこう語っている。《子どもは私のすべて。絶対に失いたくない》(『文藝春秋SPECIAL』2012年3月号)