1980年代、日本映画界に彗星のごとく現れた薬師丸ひろ子(57才)、原田知世(54才)、渡辺典子(56才)。いまも第一線で活躍し続ける彼女たちの原点は、10代でヒロインを務めた『角川映画』にある。“角川三人娘”と呼ばれた彼女たちの才能を見出した編集者・映画監督・映画プロデューサーの角川春樹さんと映画宣伝プロデューサーの遠藤茂行さんが当時を振り返る──。【全4回の第3回】
名監督との出会いで女優として成長
〈角川三人娘を語る上で外せないのは彼女たちの映画でメガホンをとった数々の名監督の存在だ。『セーラー服と機関銃』の相米慎二監督、『時をかける少女』の大林宣彦監督(享年82)、『晴れ、ときどき殺人』の井筒和幸監督(69才)のほか、厳しい監督たちに鍛えられてきた〉
角川:彼女たちをヒロインに起用する際に、監督と衝突することもありました。
覚えているのは、『野性の証明』の薬師丸。あの作品の原作は森村誠一さんの小説ですが、彼女が演じた長井頼子は8才でした。でも当時の薬師丸は13才。「原作のイメージと違う」と、メガホンをとった佐藤純彌監督(享年86)は薬師丸の起用に反対したんです。
そのとき私は、監督を交代させてでも薬師丸でいきたかった。だから当時の角川映画のスタッフに、「お前ら、何が何でも、薬師丸でいくことに賛成しろ」と賛同を得て、最後にはプロデューサーの権限で、「映画の頼子の年齢は、薬師丸の年齢に合わせて13才にする!」と押し切りました。もちろん、監督を交代させるまでには至りませんでした。
それからいざ撮影が始まって現場に行くと、佐藤監督から、「角川さんに謝らないといけないことがある」と言われました。何事かと思ったら、「角川さん、ひろ子、彼女は天才です!」って(笑い)。
1980年代の角川映画は相米慎二、根岸吉太郎(71才)、池田敏春(享年59)、井筒和幸、崔洋一(72才)ら当時の新鋭に映画を任せていました。
典子主演の『晴れ、ときどき殺人』は井筒監督が撮りましたが、芝居のつけかたがうまかったので、志穂美悦子(66才)主演の『二代目はクリスチャン』(1985年)も井筒監督にお願いしました。
典子は最初から演技が上手でしたね。彼女の作品で思い出すのは、映画『積木くずし』(1983年)です。角川映画ではありませんが、ふだんはピュアな彼女が不良少女を鮮烈に演じた。だから、『積木くずし』の印象が強いんです。
知世といえば、スクリーンデビューとなった『時をかける少女』の大林監督ですね。
『時をかける少女』(1983年)は角川書店で文庫化していて、これからの映画はSFだと。直感で、『時をかける少女』の主演は知世、尾道で撮るとひらめきました。幻想的な古い街並みを背景にすると知世の透明感がいっそう引き立つんです。大林さんも撮影時に、「知世はひとり、光り輝いていた」とおっしゃっていました。カメラレンズを通して見ると、キラキラと輝いて見えるんですよ。私は映画『愛情物語』(1984年)を監督しましたが、あの作品はとにかく知世をきれいに撮ることだけに集中しました。この作品は金沢でロケをしましたが、旅館から相手役の渡瀬恒彦(享年72)を見下ろすシーンがなんとも美しくて。あんなにきれいだったと思ったことはありませんね。