【書評】『聖母の美術全史──信仰を育んだイメージ』/宮下規久朗・著/ちくま新書/1375円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
今日の美術家は、聖母マリア像の制作に、あまり情熱をそそがない。少なくとも、自分の美術家生命をそこにかけようとする作家は、かぎられよう。また、現代の美術界は、かりにそういう仕事と遭遇しても、これを美術とはみとめまい。美術以外の何物かとして、あつかうだろう。日本のような非キリスト教文化圏にかぎった話ではない。カトリックの信仰があついところでも、状況は同じであろう。
しかし、そんな美術界も、古い時代のマリア像なら、美術作品とみなしやすい。たとえば、ラファエロの聖母子像は、美術史上にかがやかしい地位をしめている。もちろん、ダ・ヴィンチやカラヴァッジョらの作品も。
もともと、宗教と美術はふかくむすびついていた。ただ、ルネサンスのころから美術家の技量が向上する。聖母像を美しい絵や彫刻として収集するコレクターも、あらわれた。いきおい、それらは、より美術に近いものとして処遇されはじめる。
政教分離をめざす近代国家も、この傾向を助長した。官立の展示施設がおさめる宗教画を、宗教に特化した遺物とはみなされたくない。そんな思惑から、宗教色をデオドラント化し、アートとして理解する傾向が強くなる。
いっぱんに、近代化は人びとの宗教的な熱気を衰退させていく。しかし、マリア崇拝はその趨勢におさまらない。じっさい、一九世紀以後、聖母顕現の報告は、各地であいついだ。この現象は、逆に聖母像を美術という枠組からはずすよう、うながしたろう。
二〇世紀末に、マリアを冒涜するとされた現代の作品が、さわがれている。ニューヨークの市長は、これを展示した美術館へ援助をうちきると通告した。今は、マリアの擁護派が、美術と敵対することもありうる時代になっている。この本は、ヨーロッパの中世から、マリア像のたどった歴史をふりかえる。日本や中国までふくめ、多くの図版が紹介された、たいへんな労作である。
※週刊ポスト2022年4月1日号