依頼者が持参してきた品物を専門家が鑑定するバラエティ番組『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)3月8日放送回で、驚きの“お宝”が飛び出した。
その品は、安土桃山時代の大茶人・千利休が書いたとされる書簡。鑑定した愛知東邦大学・客員教授の増田孝氏は、利休直筆のものだと認め、なんと1200万円の鑑定額をつけた。当の増田氏が興奮気味にこう語る。
「利休が1585年に『利休号』をもらってから晩年に至るまでの書風で、本人のもので間違いない。ここまで書として出来映えが良い書簡はあまり残っていません」
1200万円と高額な値段がついた理由は、単に本人直筆の代物というだけでなく、千利休の最期にまつわる貴重な資料だからだ。
千利休といえば、織田信長と豊臣秀吉の茶頭を務め、茶道を正式な武家儀礼にするなど、侘び茶を完成させた人物として知られている。
しかし、70歳だった1591年に突如、秀吉から切腹を命じられ、自刃することになった。
理由については、現在に至るまで明らかにされておらず、主に「大徳寺の山門の楼上に利休の木像を安置したことが不遜だと秀吉の不興を買った」「不当な値段で茶道具を売買していた」の2説が語り継がれてきた。
それが今回、この書簡が発見されたことによって、後者の説が有力になったというのだ。
「この書簡は、おそらく堺の商人に宛てたものですが、『ルソン(フィリピン)の壺を金子12、13枚でもいいからほしいという人が複数いる』と書かれています。金子12、13枚は今で言う400万円程度。つまり“たとえ安物の壺であっても、利休が目利きした壺なら高額で買い取る人がいた”ということを裏付ける内容なのです」(増田氏)
さらにこうも読み取れるという。
「書簡を参考にこれまでの利休関連の資料も総合すると、切腹の真相は、利休の審美眼が高い評価を受けたことで、結果的に茶道具が高値で売買されるようになり、それが秀吉の目には『利休は不当な利益を得ている』ように映った、と考えられます」(同前)
学術的価値は計り知れない。
※週刊ポスト2022年4月1日号