センバツ甲子園の第6日目となる3月24日の第1試合には、優勝候補筆頭と目される大阪桐蔭が登場する。圧倒的な戦力を擁し、2012年と2018年には春夏連覇も果たした“大阪の覇者”だが、かつて激戦区・大阪で圧倒的な存在感を放っていたのが、桑田真澄や清原和博ら数多のプロ野球選手を輩出したPL学園だ。2016年を最後に硬式野球部は休部となり、OBやファンからは復活を望む声が多く聞かれるが、その道のりは遠そうだ。『永遠のPL学園』(小学館文庫)著者の柳川悠二氏(ノンフィクションライター)がレポートする。
* * *
コロナ禍となって3度目の春を迎え、第94回選抜高校野球大会も1回戦最後の試合となる「大阪桐蔭対鳴門(徳島)」をもって、出場32校が登場することになる。3月21日までは2万人という観客上限があったものの、まん延防止等重点措置条例が解除される翌22日からはそれも撤廃され、甲子園もようやく平時に戻りつつある。
春と夏の高校野球の季節に、出場校の情報や試合の速報記事とともにインターネット上に大量にアップされているのが春3度、夏4度の日本一を誇るPL学園の関連記事だ。とりわけ1970年代後半から1980年代にかけた黄金期の鮮烈で劇的な戦いぶりは、半世紀近い年月が過ぎ去っても色あせず、いまだ絶大な人気を誇るゆえ、記事も絶えないのだろう。
また、立浪和義が今季から中日ドラゴンズ監督に就任し、2年先輩の清原和博とYouTubeで共演するなど、OBらがYouTubeを使って往年のPLを語って好評を博していることも、その要因であるはずだ。
1956年創部(学園の建学は1955年)の野球部が歴史に終止符を打ったのが2016年だが、学校そのものが“消滅”の危機にあることをその後も筆者は報じてきた。
とにもかくにも、生徒数の減少が下げ止まらないのだ。
PL学園の入学試験の競争倍率に興味を持ったのは2015年だった。その年は、国公立コースと理文選修コースの外部募集がいずれも定員割れ。理文選修コースにいたっては、0.23倍という大阪府下の共学私立で最低の入試倍率であった。
野球部も、そして母体となるパーフェクトリバティー教団(PL教団)も最盛期を迎えていた1980年代のPL学園は、男子の金剛寮と女子の葛城寮に男女あわせて1000人以上が暮らすマンモス校だった。
ところが、野球部が活動を停止した頃のPLは、付属の中学からエスカレータ式に進学してくる生徒もいるとはいえ、生徒数は一学年60人ほど。生徒数が減少する中で、高校の校舎に耐震工事が必要だという行政の指導が入り、2014年頃から中学の校舎で授業を受けるようになっていた。ちなみに、高校の校舎は現在も取り壊されることがないまま、どんどん老朽化が進んでいる。